の続き



ギアッチョは甘いものが得意じゃないから、バレンタインは気を使う。というのは実は嘘で、ギアッチョは私が作ったものなら甘いものでも食べてくれる。私は誰もが認める甘党だから自分の舌には自信がなくて、甘さ控えめに作ったクッキーがめちゃくちゃ甘いとメンバーに言われることも珍しくなかった。だから私は味見をせずにレシピ通りに、甘さ控えめの言葉を信じて作るしかなくって、結果できあがるのはいつもよりなんだか味気ないお菓子になるというのがいつものパターンだった。

けれど今年は、私もどうしてもギアッチョと同じものが食べたかった。フォンダンショコラっていう、外はサクサクのチョコケーキ、中にはとろとろガナッシュという神様がくれた最高のケーキに出会ってしまったからだ。今までこの存在を知らずに生きてきたことがショックだった。こんなにおいしいものに出会わずに生きてきた今までの人生って何だったんだろうってくらい。この話をギアッチョにしたら、「…俺がいんだろ」とぼそっと呟いたっきりそっぽを向いてしまって、私はびっくりするくらいときめいてしまって何も言えずに横顔を見つめていたんだけど、そうしたらギアッチョは少しだけ耳を赤くしてぶっきらぼうに「今度、俺にも作れよ」って言った。食べ物にまでやきもちをやく可愛い可愛い私の恋人は、全ての生き物が活動を停止してしまうような低温を操るくせに、私の心はいつだってこんなにぽかぽかにしてしまう。あったかいなんてものじゃない、熱いくらいだ。高温にするのは私のオハコなのにね。

そんなわけで、私は明日のバレンタインはとっておきのフォンダンショコラを作ることにした。甘さは控えめにビターチョコレートで、レシピ通りのお砂糖で。甘いのか甘くないのか正直わからなかったけど、レシピ通りなんだからきっと少しは甘いんだろうと作業を続ける。ところで、フォンダンショコラって生焼けなわけではないらしい。レシピを見ていて気づいたけれど、私はてっきり焼けていない中央の生地が生で出ているのだと思っていたからびっくりしてしまった。言われてみれば、火の通っていない生の小麦粉なんて食べて良いわけがない。お腹がおしまいになってしまうよね。中に入っているのは柔らかいチョコレートで、あったかいケーキからそれが溶けだしているのだ。そんな説明を読みながら、私はふとあることに気が付いた。生チョコなら、冷やしたって美味しいんじゃないかと。焼き立てならサクサクの生地にとろとろのチョコレート、冷やせば濃厚な生地にやわらかいチョコレート。そんなどっちも楽しめるフォンダンショコラなんて最高なんじゃあないか。そしてそれは、私のスタンドがあれば簡単に実現できることだった。



バレンタインの2日前から、私はギアッチョに会っていなかった。ギアッチョが少しだけ遠方の仕事についていたからで、彼は私がバレンタインの用意をきっちり済ませた前日の夜に疲れた顔をして帰ってきた。玄関を開けてお帰りなさいって笑えば、疲れ切った顔に「癒された」って文字が浮かび上がるくらいわかりやすくほっとした表情を作ったので2日ぶりのギアッチョのにおいをめいっぱい吸い込むように抱きついておく。抱き返してくれる腕の力もゆるゆるとしていて、そのままくすぐったいくらいの力で頭を撫でられて、そのあとはなんとかシャワーを浴びてもらって一緒に眠った。そして目覚めた今日、バレンタインの当日は2人ともしっかりお休みだ。思えばクリスマスやバレンタインにきっちり休みをとって恋人と過ごす暗殺者なんてちょっと面白いかもしれないなと、先に目が覚めた私はギアッチョの寝顔を見ながら1人で笑った。

「ギアッチョ、起きて。朝だよ」

絶対に起きないような小声で話しかける。まだ起きるような時間でもないし起こすつもりもない。けれどなんとなく、幸せな朝みたいなのを演出してみたくってやった。そしたら意外にもギアッチョはうっすらと目を開けて、腕だけを伸ばして目覚まし時計を確認した。

「まだ寝れんじゃねーか…」
「うん、起きると思わなかった。ごめんね」
「いい、それより…」

隣で寝ていたギアッチョの腕が、上半身を起こしていた私のお腹に巻き付いて布団に引きずり込んでくる。そこまですごく身長差があるわけでもないはずなのになぜか私の体をすっぽりと覆いこんでしまうギアッチョは、私を抱き枕にして二度寝するらしい。こんな二度寝を想定して、私は二度寝用目覚ましを用意済みだった。今朝はちょっとだけ、ふたりで寝坊してみようか。



意外にも私より先に二度寝から覚めたギアッチョは、珍しい穏やかさでぐっすり眠る私の寝顔を見つめていたらしい。視線を感じたのか太陽が差し込んだのか、眠りから覚醒してゆっくり目を開けた私を見るギアッチョの顔が思ったより近くにあって、そして優しかったので寝起きからいきなり体温があがってしまった。照れてない照れてないと言い聞かせながらおはようって言った声は寝起きのかすれというにはあまりにも上ずってしまったから焦ったけど、はよ、と短く挨拶を返すギアッチョの声も同じだった。

「寝起きのギアッチョ久しぶり。2日ぶりだもんね」
「たった2日だろ」

ふああ、とあくびをして起き上がろうとした唇に一瞬触れたのがギアッチョのそれだと気づくのには少しだけ時間がかかって、視界の端でちらついた水色の方が印象に残るくらいだった。やけに甘い態度なのは久しぶりだからか、疲れているのか、今日がバレンタインだからか。

「どうしたの、なんか珍しい」
「そうか?…腹減ったな。なんか食うか」

適当にあるもので用意したパンがメインの朝食だけど、ギアッチョと2人で食べると最高のモーニングになる。時間は朝と昼の間の微妙なころだけど、朝ごはんと決めて食べたのだから朝ごはんだ。食べ終わって、ギアッチョが進んで食器を洗ってくれるので、私は洗い終わった食器を拭いて戸棚に戻した。

「ねえ、デザート食べる?」
「…オウ。待ってた」

こっちを見ないで話す時はちょっぴり照れくさいとき。バレンタインを期待していたギアッチョが素直に待ってたなんて言うのはあんまりないことだからびっくりしてしまった。よっぽど楽しみにしてたんだね。濡れた手を拭いて食卓に戻ったギアッチョに、冷蔵庫から出した手作りのフォンダンショコラを持って行く。お皿は2つ、フォークとスプーンも2つずつ。ひえひえのとっておきだ。

「はい、お約束のフォンダンショコラ」
「これって冷たいモンなのか?」
「いいからいいから。まずはそのまま食べてよ」

味見をしていないし、冷え冷えのフォンダンショコラがどういうものかは私も予想でしかない。サク、とフォークを入れたギアッチョに続いて、私も端っこを切り取って一口。しっとり甘い味が口に広がってめいっぱいの幸せがあふれた。思った通り、ずっしりでしっとりな食感だ。とってもおいしい。

「しっとりしておいしい…」
「うん、うめーな、これ」
「焼きたてのあったかいのもおいしいの。食べてみる?」
「…おまえ、」

瞬間発現したスタンドにギアッチョは一瞬びくりと肩を震わせて、なるほどと言った顔をした。あっという間にほかほかと湯気をたてるフォンダンショコラの中はきっととろとろだ。

「はい、どーぞ。割ってみて」
「グラッツェ。…ん、お、お!」

ぱか、とフォークを刺して縦に割られたフォンダンショコラからは、とろりとチョコレートがあふれ出した。これこれ、私が出会った最高のおやつ。とろとろのチョコレートってなんでこんなにおいしいんだろう。ギアッチョも驚いたのか、溶けてお皿に広がったチョコレートを生地で掬って一口。うめえ、って小声でいうのは本当においしくて私に感想を言うのなんて忘れてる時。最高の褒め言葉だ。

外はまだ寒いのに、暖房のないこの部屋があったかいのは私のスタンドの効果だ。冷蔵庫で冷やしておいたケーキを一瞬で焼き立ての温度にするのなんて朝飯前。…朝食後だけど。作戦は大成功だったみたい。

「私たち、一緒にいたら冷たいのもあったかいのもいつでも食べられて便利だね。ギアッチョならもっかい冷やすのもできるでしょ」

にこ、と笑いかけたら、ギアッチョもあんまり上手じゃない笑顔を浮かべた。表情豊かなのに、こうやって微笑むのは苦手なギアッチョ。そういうところも、本当にかわいい。

「あ、メローネからメールきてた。がいないとアジトが寒いよーだって」
「凍ってろ」
「あはは、じゃあ、みんなの分も持ってアジト行こうか」
「あいつらにもこれやんのか?」
「ううん、市販のやつ。そこにある紙袋」
「ふーん」
「ギアッチョのは特別に決まってるでしょ。とっておきの隠し味入りだよ」
「隠し味?」
「うん」

なんでしょうって言った私のいたずらを仕掛けるような顔には気づかないギアッチョは、なんか混ざってる味はあったか?って斜め上を向いて考え始めた。きっとそんなんじゃ一生わかんないような、とっておきの隠し味だよ。

「なんだ?」
「ふふ、ひみつ」

だから、秘密を飲み込むために短くキスをした。このキスで、秘密は閉じ込めてしまおうね。


スイートメルティフォンダンショコラ

(愛だよ、なんて、ありきたりで恥ずかしい)