メローネさんっていうのは時々この公園を訪れる青年の名前で、彼はとっても美しい容姿をしていた。

まず顔が綺麗。グリーントルマリンのような2つの瞳は陽の下できらきら輝くし、私の絵を見つめる真剣な視線まで緑色の光を帯びているような錯覚に陥る。金色の細い髪の毛は1本1本がきっと硬くって、肩にあたってするりと流れる様子は芸術品だ。何のお仕事をしているのかわからないけれど、全員にがっしりついた筋肉も見事なもので、私はいつかその身体に触れてみたいと思っていた。

自分の生い立ちはとても幸運なものだと思っている。少しだけ体が弱くて病気がちだけど、裕福な家の生まれだったので治療費はいくらでもでてきたし働かなくても生きていけた。一人娘を猫かわいがりする両親は心配性ながらも私を必要以上に束縛することもなく、こうして絵を描きに毎日公園へ出てくることもできる。

彼に出会ったのはそんなある日のこと、寒くなってきた公園でかじかむ指に息を吐きかけながら空の色を写し取っているときだった。

「綺麗だね」

その声は随分と耳元で響いたので私は驚いて立ち上がって、そうしたらベンチの後ろにいた金髪の美人が「驚かせたかい?悪いね」なんて言いながら回り込んできて隣に座った。改めて腰掛けた私は大声を出してしまったことを謝罪して、それから絵をほめてくれたことにお礼を言ったんだ。

「俺が綺麗だって言ったのは君だぜ」
「私が?そんなこと言われたの初めてだわ」
「へえ、見る目のない奴ばかりだったんだな」

そう言いながら目を細める表情に胸が高鳴って、私の中に初めての感情が生まれたのがわかった。学校へは行けなかったから友達はいなかった。病弱で青白く細い私に声をかける人だっていなかった。ときどき通りすがりに絵をほめてくれる人はいたけれど、それもその時限りのこと。こうやって隣に座って笑う人なんて初めてだ。

「その絵も綺麗だ。いつもここで描いてるの?」
「ええ、あの屋敷が私の家なの。庭の絵は描き飽きてしまったから、ここへ」
「お嬢様じゃないか。俺なんかが話しかけていい相手じゃあなかったかな」
「そんなことないわ!」

少しだけ声が大きくなってしまったので恥ずかしさにうつむいて、けれど伝えたいことはその時その時きっちりと伝えておかなければならないというのは、長くない人生を有意義に生きて行くうえで絶対に必要なことだと知っていたから勇気を出した。

「こうやって話しかけてもらったことって、なかったの。とっても嬉しい」

他愛ない話をして、去り際にまた見に来てもいいかい?と聞かれた私の心はわかりやすく浮かれた。これはきっと、本の世界でしか読んだことのなかった恋というものだ。それは理屈でもなんでもなく唐突にやってくるものらしく、なんてことないありきたりなことが妙にきらめいてみえるらしい。新しく芽生えた感情はこの先限りある心臓のペースをはやめてしまったから、私はそれから1週間、寝込んでしまうことになるのだった。





やっと体調が戻って、それから外出の許可が出たのはあれから2週間がたったころだった。公園の景色は変わりやすく、描いたことのない景色はいくらでも現れる。久しぶりなので、描く手が疲れてきたなあと思ったころ、2週間ぶりの、けれど決して忘れない声が降ってきた。

「やっぱり綺麗だ」
「…この色、お気に入りの色鉛筆なの」
「俺が綺麗だって言ったのは君のことだぜ」

2週間ぶりの会話は初めての会話と同じに始まって、それからまた同じように彼は隣に座った。

「何度か来たんだが、なかなか会わなかったな」
「私身体が弱くて、2週間くらい寝込んでいたの」
「ああ、確かに顔色が悪い」

そっと伸びてきた手のひらが頬を包んだので私はどきどきしてしまって、逃げそうになった。けれど逃げたくなかった。大きな手は私の顔の半分を覆ってしまうほどで、両親やお医者様とも違うゴツゴツしたもので、それからとっても熱かった。私の顔が冷えていたからだけじゃあないと思う。

「寒くないか?」
「…少しだけ。2週間でまたちょっと冷え込んだみたいね。もう冬になるわ」
「これでも着てろよ」

そういうと彼は着ていた上着を脱いで私の肩にかけた。あきらかに大きなそれは彼の体温でぬくぬくと温かかったけど、対象に彼は薄着になってしまって寒々しい。

「あなたが風邪をひくわ」
「俺は鍛えてるから平気さ。この程度で風邪をひくほど弱い男に見えるかい?」
「…そんなこと言われたら、」

見えるなんて言えるわけがないじゃないか。にやっと笑う顔には厭味ったらしさはなく純粋にかっこいいものだった。素敵な人だ。一気に体温があがる気がして、冷たくて白かった頬の感覚を忘れてしまうほど。

「優しいのね」
「君にだけさ」
「ほんとうに?そんなこと言われたら嬉しくなってしまうわ」

ときどきぽつりぽつりと会話をしながら、私は絵を描くのに戻った。彼は持ってきたらしい本を開いていて、それはイタリア語ではなさそうだったので私には何の本なのかわからなかった。会話をしながら、ときどき横顔を覗き見る。美しい人だ。繰り返していると、何度かに1度目があってしまう。なんだい?そう言う瞳に自分が移るのがたまらなく嬉しい、だなんて、恋っていうのはこんなにもあふれ出すものらしい。





彼の名前はメローネというのを私は知って、彼は私の名前がというのを知った。

メローネさんは人には言えないお仕事をしていて、しいて言うのなら”自由業”である自分はお嬢様なにはふさわしい身分じゃあないんだ、と、ある日何の脈絡もなく言った。いつもどおりの声色を装っているんだろうけど、人の言葉の裏側に隠そうとした感情を見つけ出すのがうまい私はそこにほんのすこしの哀しみを感じ取った。メローネさんのことが私は好きだけれど、メローネさんもきっと私のことを同じように好いていてくれている、というのは私の中ではほとんど確信がもてるほどになっていた。だってそうじゃなければこうして週に何度も会いに来る理由なんてないのだから。その彼が、自分は私にふさわしくないのだと哀しげな声をだすのであれば、私にできることってなんだろう。繋ぎとめたい、離れないでほしい。相応しくないなんて言って、自分から壁を建てないでほしい。

「メローネさん、ここ以外で、会うことはできるかしら」
「いつ、どこかによるな。俺の部屋、なんてのはいつだってダメだぜ」
「来週の木曜日、街で1番大きな病院の、最上階の個室で」

はっとした顔、そんな隙のある表情は出会ってから今までで初めて見た。私の体はどんどん悪くなるから、いずれまた入院して手術が必要になる。その日が迫っていて、私は今日を最後にまたしばらくの間病院で暮らすことが決まっていたから、それを本当は伝えるはずだったのだ。けれど、なんだかさっきの様子を見ていたら、このまま手を離したらもう二度と届かないんじゃないかと思ってしまって。

「無理なら、いいの。ただ…私はしばらく、ここには来られなくなるから」
「…そうか」

行く、とも、行かない、とも、どちらの返事もせずにメローネさんは去って行った。その背中に拒絶の雰囲気がないことが私には救いであったし、私には彼がもうすでに予定の調整について思考を巡らせながら病院に来る予定を立てていることがわかっていたから、その日を楽しみに生き延びようっていう気持ちにはなれた。手術が終わって、面会が可能になるのが来週の木曜日だ。真っ白な病室のベッドサイドのカレンダーの、面会可能日の14日に印をつける。

その日、真っ白な病室に金色とグリーンターコイズが彩られたら、チョコレートと一緒に私の気持ちを伝えよう。それから、とっておきの秘密も一緒に。


白い部屋と秘密のチョコ


「ベイビィフェイスのメローネさん、来てくれてありがとう。これ、本命のチョコレート」
「…は、どういうことだ?」

私の両親はパッショーネの幹部なのよ、なんて、あなたは想像もしなかったでしょうね。黙っていてごめんなさい。私だってびっくりしたの、でもね、うまれて初めて好きになった人が暗殺者だなんて、なんだかとっても素敵な運命じゃない?