ナランチャは、自分史上最速で走っていた。だって時計が止まっていたんだ、俺は悪くないはずだ。でもきっと怒りっぽい彼女のことだから、待ち合わせに30分も遅れた俺の顔を見た瞬間近距離パワー型のスタンドで目いっぱいの力で振り抜いてくるに違いない。ぶるりと体を震わせて、待ち合わせ場所まで歩けばあと20分かかかる距離を、5分で駆け抜けようと心に決める。体力には自信がある。会ったらまずパンチを避けて、それからテレビで見たジャポネーゼの文化、ドゲザを決めよう。あれはなんだって許される最終手段、魔法のポーズだっては言っていた。きっと許してくれる。そして、止まった時計を見せて事情をわかってもらおう。ジェラートを5つおごってもいい。とにかく…今は急がなければ。





そのころ、ナランチャの時計がとまっていることなんてまったく知るはずもないは、自慢の長い黒髪を指先に巻き付けながらタンタンと地面を蹴っていた。顔を出したらまず蹴りとばしてやる、と思ったのは待ち合わせから10分が過ぎたときだった。ナランチャはいつもそうだ。最初は時計が読めなかった、これはありえない理由なので思いっきり頬を殴り飛ばしてしまった。その次は仕事だというので文句は飲み込んであげたけれど、とにかく彼はすぐに遅刻をする。まったく、私との待ち合わせをなんだと思ってるんだ。もう少し尊重してくれてもいいと思う。せめて今日はクリスマスなのだから…と思っていた私の気持ちなんて、きっとナランチャは知らない。私が今日のお出かけをどれだけ楽しみにしているのかきっと知らないから…それは仕方がないのかもしれないけど。それにしたって。いつもいつもいつも待ちぼうけさせられる私の身にもなってほしい……なんて、少しだけ弱気に泣いて見せることができれば、ナランチャも少しは変わるだろうか。もう少し、守ってあげたくなるような可愛げのある女の子だったら。





ナランチャはそれはもう焦っていたので、角を曲がってきた見知らぬガタイの良い男に全力で体当たりをした。クソッいてえなどこ見て歩いてんだボケ、そうして顔をあげたナランチャを見下ろす瞳はどうみても血の気の多いチンピラで、ああ、こんなところでもめ事を起こしていたら時間が…なんて思うのもむなしく、振り下ろされた拳を身軽に避けたナランチャはすでに戦闘態勢に入っていた。待ち合わせのことなんて、それはもうすっぽり頭から抜けてしまって。





「遅すぎる」

待ち合わせの時間を45分は過ぎた。こんなことってあるだろうか。ついに我慢が出来なくなったは、ナランチャの保護者であるブローノ・ブチャラティに電話を掛けた。

「プロント、ブチャラティ?です」
「ああ、か。…ナランチャはどうした?」
「来ないんです。寝てるんじゃ、ないんですか?」
「すまない、アジトの時計が壊れていてな、待ち合わせを30分も過ぎているといって飛び出していったから、もうそちらに着いていると思っていたが…何かあったのかもしれない。探してみよう」
「…いえ、大丈夫です。私が行きます、ありがとうございました」
「そうか、すまない。見つかったら連絡をくれ」

ピ、と通話を切って、は首をかしげた。アジトからここまで、全力で走ればナランチャなら5分で来られる。なのにもうそれを10分も過ぎているとなれば、どうせその辺でトラブルにでもあっているんだろうというのは想像に難くない。だってナランチャだから。走るのに夢中でチンピラにでもぶつかってけんかになって、待ち合わせのことなんかすっぱり忘れているのかも。はあ、しょうがない奴。





ナランチャはあっさり見つかったけれど、それはなんとも意外な形だった。ナランチャが押されてる。けんかで。思った通り、アジトまでの道を歩いてみたら人だかりができていた。ナランチャとなぐり合っているのは身長が2mはありそうなチンピラが2人で、ナランチャは頬を腫らし鼻血を出していた。スタンドも出しているけれど、ギャングではない一般人を殺してはいけないというブチャラティルールがあるから、比較的殺傷能力の高いエアロスミスは一般人を制圧するのにはほとんど無力になってしまう。なるほどなるほど、確かに純粋な殴り合いだとナランチャの体格じゃあ不利な相手だ。

守ってあげたくなるようなかわいらしい女の子だったなら、ナランチャは待ち合わせの時間に遅れたりもせず、落ち着いて歩いてやってきて、私の手を取ってくれたのかもしれない。そんなもしもの話はまったく意味がないので私は頭を振ってくだらない想像を追い出した。私はそんなナランチャを、助けてあげられる力があることを、誇りにおもっているのだから。

「ねえ、その人、私の彼氏なの。あんまり苛めないでよ、おじさん」

「おッ、このガキの連れか?ハハッ、女にかばわれてんぞーガキンチョ!」

「…あ、りす…」



ナランチャは焦った。ナランチャにとって、2m近いチンピラ2人を相手にするよりも、1人を相手にする方がよっぽど恐ろしい。冷や汗が背中を伝った。の恐ろしさを知らないチンピラはナランチャへの興味を失ったようにへ近寄って行って、おい、やめとけ、お前ら、とナランチャが言うのを、俺の女に手を出すなみたいな意味に勘違いしてとらえてきたない笑い声をあげる。いやそうじゃないんだ、だってその女はマジにヤバイ……

ナランチャの思いも虚しく、チンピラは地面に崩れ落ちた。の身体と一体化しているスタンドは、その拳でコンクリートのビルの壁だって砕いてしまうパワーがある。一体化しているから自分の手の届く範囲の射程しかないけれど、そこに入ってしまえばあれよりパワーのあるスタンドもそうそうないだろう。そんなものでおなかに一発ずつ入れられた2人の体内がどうなったかなんて、知りたくもなかった。

「ナランチャ、あんた何やってんの」

「ご、ごめん。その…時計が、」

「こんなに怪我して!こんな奴等スタンドでも何でも使ってさっさとぶっ殺せっての、っくそ、もう…」

ブチャラティがそれを許さないというのはだって知っているはずなのに。それでも言葉の強さとは逆に表情はとても心配そうにしていた。

「…心配かけて、ごめん。あと…待ち合わせも」

「もういい。ナランチャのアジト行くよ。ブチャラティに電話してナランチャ何処って聞いちゃったから、見つけたって報告しないと」

「ブチャラティに言ったのかよ!」

「言われたくないなら時間通りに来るべきでしょう」

「そうだけど…」

怒ってるには従うしかない。大人しくついて行こうとしたらぐいと腕をつかんで引っ張られて、折られると思って反射的に手を引いた。当然逃げられるはずなんてなかったけれど、その時のの表情は見たことがないほど…傷ついたような、そんな風に見えた。ナランチャにはなぜがそんな顔をするのかわからなくて、「ごめん、痛かったか」と言って手を離すに何も言えず、ただ後ろをついてアジトへ向かった。





「ブチャラティ、ナランチャ見つけた。喧嘩して怪我してるから手当してあげてほしい」

「ああ、…すまなかったな。せっかくのクリスマスだというのに、うちのナランチャが」

「ブチャラティはナランチャのパードレみたいだな」

ブチャラティにナランチャを引き渡したら、すっかりうなだれたナランチャは大人しく手当てを受けていた。あんな奴らにやられた怪我はどうせ大したことはないんだろうけれど、それでも腫れあがった頬を見ているのは面白くないから。

、あまりナランチャを叱らないでやってくれないか。ここの時計が壊れていて、俺も時間に気が付かなかったんだ」

ナランチャはちゃんと昨日から時間を気にして早めに眠っていたし、朝だって起きていたんだとブチャラティは言った。ナランチャはそれに「いいよ、もう、遅刻したのは本当だし」と呟いて、どうやら今日は本当に仕方のない遅刻で、しかもそれをちゃんと反省しているらしかった。

「そう…うん、まあ、ブチャラティがそういうなら今日はもういいや」

「本当にすまなかった。ナランチャ、飲み物を出してくれないか」

「わかった!」

ブチャラティに言われて、ナランチャは手当された頬をさすりながら出て行った。ブチャラティが私に向き直る。本当にこの人はナランチャの父親のような人だ。ギャングでありチームのリーダーをしているとは思えないほどの物腰の柔らかさ。部下を思う気持ち。私のリーダーにも見習ってほしいところではあるけれど、彼が特別異質なことはわかっているから贅沢は言えない。だって、部下の彼女というだけの私にですらこんなに優しいなんて、本当にどうかしている。

「…さて、ナランチャは飲み物としか言われていないので何を持ってきたらいいかわからず、けれどそれを聞きに来たら馬鹿にされると思ってしばらくはあっちで悩んでいる」

「ナランチャのこと、よくわかってるんですね」

「部下だからな。…それで、はなぜそんなに不機嫌なんだ。ナランチャが遅刻以外に何かしたか?いや、言いにくいことならいいんだ」

うっかり目を丸くしてしまった。この人は、私の様子がおかしいのに気づいてナランチャをあっちにやったのか。まさかそんなところまで見ているなんて、なんというかいっそ恐ろしいくらいだ。

「別に大したことではないんですけど。ナランチャ、さっき帰るよって手握ったら怯えたみたいに振り払ったんです。私のこと怖いんでしょうか。私、守ってあげたくなるような可愛い女の子だったらよかったなあってちょっとだけ思ってしまって」

「……そうか?は十分女性らしくて素敵だと思うが」

「そう、でしょうか」

「ああ。もっと自分に自信を持つべきだ。それにナランチャはいつもいつもの話ばかりしている。直接は言わないのかもしれないが、あいつの気持ちは本物だ」

「そうなの、」

「あーッブチャラティ!に近けーよ!」

座っていたソファから身を乗り出していたブチャラティに、扉を壊れそうな勢いで入って来たナランチャがとびかかった。手にはミネラルウォーターやジュースがいくつか握られていて、なるほど迷った末に持てるだけ持ってきたんだなと理解する。

「いや、なんでもない。な?

「は、はい。ナランチャ、ちょっと話してただけだから」

「ホントかよ?」

「ホントホント」

「そろそろ出かけた方がいいんじゃないのか?デートなんだろ」

「…そうだね、行こうナランチャ」

さっきのブチャラティの話をきいたら、遅刻とか本当に好きなのかなあとか、ふわっと軽くなってしまった。やっぱりブチャラティってすごい。だから、アジトを出て手を繋いでから、ブチャラティってすごいねと言ってみた。するとナランチャは目を丸くして、そうだろって自慢気に言って、すぐ不安そうな表情になって「好きになったのか?」と聞いた。ころころ変わる表情はとてもかわいらしいし、言ってることも文句なしに可愛い。

「ううん、私はナランチャが1番好きだよ」
「へへ、そうだよな。俺もが1番好きだぜ」

どこで覚えて来たのか知らないが、ナランチャは身軽に私の前に出て向き合うと、私の左手をとってそっと手の甲にキスをした。



全力で走る

(どう、かっこよかった?)(遅刻せず怪我もしていなければ、ね)(えーっ!)