ただでさえまぶしい夕焼けは、少し前から降り出した大粒の雪が拡散してあまりにも眩しかった。目の奥が痛くなって、瞬きのたびに光の跡が見える。それでもなぜか目が離せないその夕焼けの向こうに、私は何かを思い出しそうになった。なんだっけ、前にもこういう夕焼けを見たことがあったような、気がする。なんだっけ。

眩しさに目を閉じても、瞼の向こうに同じ色の夕焼けが見える。そうだ、この夕焼けは、卒業してしまう先輩の背中を追いかけたときに見た、あの夕陽と同じ色をしている。





「先輩、先輩の第二ボタンをください」
「あ?なんでだよ」
「ほしいからです」
「なんだって第二ボタンなんだ」
「知らないんですか?第二ボタンは、1番心臓の位置に近いから。あなたの心をくださいって、そういう意味です。私が、先輩のことを好きだから」

そういうと先輩はだるそうに私を見ていた目をまんまるに見開いて、それから少し呆れたような表情を作ったけれど、第二ボタンを私の差し出した手に握らせてくれた。その背中から差し込む夕日が逆光になって私はその時の先輩の表情が見えなくて、でもきっと優しい顔をしてくれたのだろうと雰囲気で感じていた。それっきり。返事ももらえず、ただボタンを受け取っただけのちっぽけな思い出だ。実は私は先輩とあの時初めて話したのだから当たり前だ。

だから、私がその先輩を追いかけて警官になったことも、その時にはすでに先輩が警官をやめていたので私もすぐにやめてしまったことも、その行方を追ってギャングになったことも、同じチームに配属されたことだって、先輩は知らないのだ。





「おいお前、報告書はどうした」
「アバッキオ。どうしたんですか、こんなところで」
「…お前の報告書が出ないから仕事が終わらねぇ。探しに来た」
「ああー…、書くだけ書いて忘れてました。今戻ります」
「早くしろ」

膝を抱えて座っている姿勢からもたもたと立ち上がろうとすると、背中を膝で蹴られた。アバッキオ先輩は女相手でも容赦ないので、他のみんなはそういう現場を目撃するたびに「女性に暴力はよくない」って言ってくれるんだけど、この扱いは改善される様子はなかった。

「いてて、転んじゃいますって」
「お前がとろいんだろ」
「…もう」

昔の先輩はもっと優しかったですよ。そんなことは言えない。だって彼は覚えていないんだから。私は2年間ずっと先輩のことを見ていたけど、顔を合わせてお話したのはあのたった1度、卒業式の日、今日みたいな夕焼けの下だけのことだった。私が絶対に見えないよう服の下に隠しているチェーンの先には、あの日もらった第二ボタンが今でも隠れている。これは私のお守りだ。あなたの背中を追いかけて、警察になったりギャングになったり、人を守ったり殺したり。自分の意思はないのかって自分でも思うくらいに、あなたの隣にいることだけを目標にやってきた。そんなことあなたが知ったら、どう思うんでしょうね。

「アバッキオはせっかくのクリスマスもお仕事なんですね」
「どっかの誰かが報告書を出さないおかげでな」
「あら、報告書さえ出ていれば用事があったみたいな言い方」

大きな舌打ちが聞こえたので身構えたけれど、げんこつは降ってこなかった。アバッキオのげんこつは結構痛いから、やられるたび脳細胞が死滅して私の頭は悪くなっていくような気がする。街を歩きながら聞こえてくるメロディはクリスマスの良い雰囲気を盛り上げていて、私はアバッキオに「手でもつなぎますか?雰囲気だけでも」って軽口をたたいて、さっきは回避したげんこつをゲットしてしまった。

「ああー、なんかくらくらします」
「いつも通りの強さだったろ」
「ああいえ、げんこつはいつも通りでベネでした。そうじゃなくって、眩しくて」
「あんなところにいるからだろ」
「だって綺麗だったんです。ああいう夕陽、昔にも見たことがあって…」

あれは、私にとってどういう思い出だろう。良い思い出であることは間違いないけれど。あの思い出と一緒にしまいこんだ感情はなんだっけ。珍しく言葉尻をはっきりさせない私を訝しむような目で先輩が見るので、あわてて「いや、なんでもないんです」と手を振った。特別な関係になりたくないわけではないけれど、別にそれを強く望んでいるわけではなかった。強い憧れは強くなりすぎて、なんだかもう、テレビの向こうのアイドルとか、そういう次元にまでなってしまっている。

「俺も、こういう夕陽を見たことがある」
「…アバッキオ?」
「俺が昔学生だったころ…いや、卒業式だから、もう学生じゃあなくなってたか」

心臓が、本当に止まったと思う。呼吸もできなくなったし、一瞬で冷や汗をかいた。だってそれ、それは私だけが覚えているはずの私と先輩の思い出の日じゃないか。突然そんな話をされると私は困ってしまうし、あの日先輩が私のことをどう思ったとか、そういう話は…怖いから聞きたくない。

「へえ、アバッキオにも学生だった頃があったんですね」
「ぶんなぐるぞ」

ぶんなぐるぞと言った時にはもう殴っているアバッキオだ。痛む頭を押さえて、私はあの日と同じように夕陽に照らされる銀色の髪の輪郭を見ていた。

「制服の第二ボタンが欲しいって言う変わった女が来てな、見たことも話したこともないのにやたらぺらぺらと喋って、なんだコイツって思ったな。到底理解できんこと言ってきたから、望み通りボタンをやってさっさと帰ったが…」

ズキリ、なんでもない顔を必死に作らなければいけないくらいには今のは痛かった。そういうの、気配で感じちゃうタイプかな。私の様子がおかしいの伝わりませんように。先輩、やっぱり鬱陶しいと思ったんだ。そりゃあそうだよね、わかっていたけど、でも…。あ、なんだか泣きそう。

「そんな変な女のこと、夕陽を見るたびに思い出すのは何故だろうな」
「…それ、は」

好きなんじゃないですか?なんて軽口は叩けなかった。だって顔が笑ってしまいそうだったし、同じくらい恐怖に歪んでしまいそうだったし。完全に沈黙した私を、アバッキオは特に何の感情も浮かべない表情で見下ろす。私はこの顔が大好きで、その威圧的な雰囲気まで大好きだからこういうのにもドキドキするけれど、これ、普通の女の子にやったら泣きながら逃げられちゃいますからね。で、その無表情の裏側は、今何を考えてるの。

「その女の子とは、それきり会ってないんですか?」
「…さあな。顔も覚えてねーし名前も知らねぇしな」

そういえば私、名乗らなかったな。数年越しの事実だ。名前くらい伝えておけば、ギャングになった時に気づいてもらえたかもしれないね。今となっては気づかれていないほうが、気まずくなくってよかったのかもしれないけど。ふうん、と興味ないですみたいな返事をしてアジトへの歩みを進める。そうだ、今の私に必要なのは報告書を出すことで、それだけを考えよう。変なところに思考をもっていって火傷するのは私だ。すこしだけ眩しさを抑えた夕陽はそれでも相変わらず街を照らしていて、私の金髪も視界の端でキラキラと透ける。輝きを失った服の中にある第二ボタンを、こういう夕陽に照らして眺めては勉強を頑張ったりして、私は警察になったんだよなあ。

「…おい、」
「はい」
「俺はそいつの顔も名前も憶えちゃいねーが」

振り返らないで歩いていたので、立ち止まったアバッキオと私の間には距離があった。にもかかわらず一瞬で距離を詰めてきたアバッキオは、私の首の後ろに光る細いチェーンに指をかけた。えっ、と言う間もなくひっぱりあげられる。

「あ、ちょっ」
「自分の第二ボタンがどんなものだったかくらいは覚えてるんだ」

私の顔は青くなっただろうか、赤くなっただろうか。嘘、なんで、いつ知ったの、なんて言葉もでないし、何を言ったらいいのかもわからなくって、ただ口だけをパクパクと動かした。私はさぞおかしな顔をしていたのか、アバッキオはそんな顔だーいすきなブチャラティにだって見せないんじゃないかってくらいの勢いで笑った。わ、笑った!

「…せ、先輩、いつから知って………」
「さあな」

アバッキオの指を離れたチェーンは私の服の中にするりと戻った。外気にさらされて冷たくなったボタンは胸元をすっと冷やして、それから私の混乱した胸の内も冷静にした。酔っぱらってアジトで脱いだ時か、酔っぱらってアジトで寝落ちしたときか、酔っぱらって抱きついた時の胸元の硬さか(つらい)、酔っぱらってしゃべっちゃったのか、酔いを醒ますためにシャワーを浴びたときの脱衣所か。心当たりは正直ありすぎて全然わからない。ていうか私酔いすぎだ、お酒には気を付けよう…ってああ、そういうことじゃあなくって!バレてしまったなら言うことはひとつ、何年もこのない胸で温め続けた、たった1つの先輩への想いだ。

「先輩、先輩の心、私にください!!」

今日はクリスマスだから、プレゼントってことでどうか!そんなことを街のど真ん中で叫んだ私は、この後先輩がどんな反応をしたって笑えるくらいには覚えていてもらったことが嬉しかった。

ねえ先輩、真っ赤な顔は夕陽のせいにできるから、私も先輩も夕陽に感謝しなくっちゃいけませんね!

目が眩む夕焼け

(ブチャラティー!!アバッキオが殴ったー!!)
(またお前たちは…、どうしたアバッキオ、楽しそうだな)