勉強ができるというだけではなく頭の回転は速いほうだ。けれどそれは全方向において発揮されるものではない。たとえばこんな、「10歳年上の女性からバレンタインにもらった本命のブラウニーに対するお返しは何がいいか」なんていう問題は、まだ16歳のフーゴにはむずかしかった。

「ブチャラティしかいないんです、こんなこと相談できるの」

話がある、と呼び出したブチャラティはそれは楽しそうに表情を緩ませた。やっぱりそうだったんだな、みたいなその顔は今まで自分が「エスプレッソが好きなだけだ」と言い張ってきたのが全部照れ隠しだったんだって確信したものだ。そうじゃない、本当にエスプレッソが好きで、なんだかあの店は居心地が良いと思っていたんだ…っていうのはどんなに主張したって意味がなかった。
だって恋愛なんて、したことがなかった。勉強だけをして生きてきていろいろあってギャングになって、たった15年のそんな人生に恋をする余裕なんかなかった。むかむかしたりもやもやしたり胸に何かつっかえたみたいになるあの感じが、まさか話には聞いていた恋だったなんて自分でも驚いているんだ。

「俺を頼ってくれて嬉しいよ。そうだな、無難に花なんかいいんじゃないか?あの店に飾れるようなものを贈ったらどうだろう」
「花、ですか」
「花をもらって喜ばない女はいない…とは言わないが、彼女は喜びそうじゃないか」

花束を抱えて微笑む彼女を想像してみる。しばらく会っていないのに簡単に思い浮かぶ笑顔はフーゴの胸をぎゅうと締め付けた。

「…そうですね」
「ところで、その告白に返事はしたのか?」
「いえ、実は…」

あの時、自分の胸の内のもやりとしたものが恋だと気づいてしまって、それに動揺した僕はありがとうございますとだけ答えて、あとはいつも通りになんとなく雑談をして店を後にした。それ以来、何か気まずくて顔を合わせづらくてどんな話をしたら良いのかもわからず、気づけば3週間あの店には行っていない。素直にそう言うと、ブチャラティは驚きに目を見開いてそれから額に手を当てて唸った。

「フーゴ、それは…彼女、」
「言わないでください、わかっています」

本命だと言ってブラウニーを渡した翌日から、2,3日おきに訪れていた常連がぱったり3週間も来店しなくなったのなら、その理由は明白だ。その告白が迷惑だったんだろうと、その気持ちには答えられないという返事にとられているに違いない。
なんだか気まずくて恥ずかしくて来られなかったんだというのも一緒に伝えたい、僕だって彼女のことが、その、…好きなんだってことをちゃんと伝えたいんです。まっすぐにブチャラティを見つめる真剣な瞳に嘘はない。だからこそ、何ともややこしい事態になりかねない態度を現在進行形でとっていることに、ブチャラティはそっとため息を吐いた。

「少し早いホワイトデーとでも言って、今日すぐにでも会いに行くべきだと俺は思う」
「…彼女、怒っていないでしょうか」

は、と完全に予想外の返事に、ブチャラティは間抜けな声を漏らした。怒る、だなんて、どうやったらそんな発想になるんだ。悲しんでいる可能性はあれど怒るだなんて、と思ったが、フーゴの表情はとてもまじめで冗談を言っているようには見えない。
参謀としてとてもよくやってくれているフーゴが、年相応に幼い恋をしていることにブチャラティはどこかほっとした気持ちを抱いていた。そしてその恋をなんとしても叶えてやりたい、応援してやりたいと思うのは上司として当然のことだ。

「怒るもんか。ちゃんと事情を説明して気持ちを伝えて来ると良い」
「…そう、ですね。僕、行ってきます」

ぐ、と覚悟を決めた顔で立ち上がる。らしくもなく足音を立てて去っていく後姿に、無言のエールを送った。まったく、なんて可愛い部下だろう。


*


花屋に駆け込んで、とびきりに大きな花束をお願いした。ピンクと白と、淡い明るい色で整えられた花束はふわりと良い香りをさせていたけれど、それを楽しむ余裕なんてなしに、けれどバラバラと散ってしまわないよう細心の注意を払い急ぐ。

しばらく見ていなかった懐かしい店の外観が見えて、膝に手を当てて乱れた呼吸を整える。あの後実は何度かここを訪れようとはしたのだ。けれどどうしても、扉を開く手が馬鹿みたいに震えるから入れなかった。どんな顔をしたらいいのかわからなくて、何て声をかけたらいいのかわからなくて。いつも何も考えないで入っていたはずなのに、好きと意識してしまったらどうしてもそれができなくなってしまっていたから。

カラン。考えるより先にまずは行動すべきだ、と扉を開いた。久しぶりに聞いたベルは記憶にあるままの音を響かせる。客は1人もいなかったらしく、カウンターに座って文庫本を開いていたは「いらっしゃいませ、」と少しふやけたようなのんびりした声を出して、ゆっくり本を閉じてこちらを向いた。眠たそうに細められていた目が大きくなって、「フーゴくん」と僕の名前を呼ぶ。

「あ、あの…こんにちは、

なんて間抜けな第一声だ。もっと他に言うことはあっただろうに、口をついて出たのはいつもの挨拶だった。夢じゃないかと疑うように目をこすったは軽く頬をつねって、小さな声で夢じゃないと呟く。

「…いらっしゃい、フーゴくん。ずいぶんと久しぶりね、夢かと思っちゃった」

いつものでいいかなあ、とカウンターの中に入っていくに、はい、と答えた声が少しかすれていた。カチャカチャと音を立てて用意をするのを見ながら、指定席のようになっているレジ横の席に座る。隣の席に花束をおいて待っていると、好みのエスプレッソが出てきた。

「美味しいです」
「ありがとう。今度は……、彼女とでも来てよ」

にこ、と笑ったつもりなのだろうけど、その笑顔は複雑に歪んでいてうまくなかった。言葉の意味がわからず一瞬詰まったけれど、が僕に彼女がいると思うのは無理もない。だって僕は彼女の本命の告白を保留にしたまま長いことここに訪れなかったのだ。持っていた花束が別の誰かにあてたものだと思うのはなんら不思議ではない。

「先月は、なんかごめんね。私みたいなおばさんに告白されたって、困っちゃうよね」
「違う、違うんです

ガタ、と立ち上がってエスプレッソが少しはねた。慌てて花を手にとってカウンターの向こうにいるに差し出すと、は複雑に歪めていた表情をより一層変な作りに変えてしまった。

「いいんだよ、気を使わなくって。年齢も全然違うし、立場だって違うし」
「本当に、違うんです。話を聞いてもらえませんか」

花束をカウンターに置くと、はその香りに少しだけ和らいだ表情を作った。

「僕はのことが好きです。多分、最初に来たときからずっと…」
「…うそ、全然そんなふうには見えなかった」
「それは僕がのことを好きだって気づいていなかったからで…。あなたがブチャラティのことを褒めるとなぜかもやもやした気持ちになったり、暇さえあればここに来てしまうのも、僕はなんでかわかっていなくて」

必死に伝えようとする自分が情けない気分になってくる。から見たらずっと子どもな僕がこうやって自分の感情がわからず空回っていたなんて、もしかしたら彼女が思っていたよりもずっと子どもっぽくて、幻滅されてしまうかもしれない。

「…僕がここに来なくなったのは、あなたのことが好きだと思ってしまったらどうしていいのかわからなくなってしまったからで…今までどおりにあなたと話せるか、わからなくて…」

花を渡すために立ち上がってしまったので、座ってエスプレッソを飲む。少しだけ落ち着いて、それからの顔を見るのが怖くてうつむいてしまった。今彼女がどんな顔をしているのか、見たくも想像したくもない。こんな子どもっぽい自分は知らない。

「こんな僕のこと、こそもう好きじゃないかもしれませんが、」
「私、フーゴくんのこと今でも好きだよ」
…?」

「あれから、カランてそこのベルが鳴るたびにフーゴくんかもって思って過ごしてきて、今日も来なかったな、こんなに来なかったの出会ってから初めてだなって何度も思ったの。私はフーゴくんのこと何も知らないでしょう。ここに来てくれる時にしか会えない、連絡もとれない年下の男の子に恋をしてるなんて自分でも信じられなくて、何やってるんだろう、不毛だなって思ったのに、それでもこの3週間ずっとフーゴくんのこと考えてた。今でも、好きだよ」

すらすらと台本でもあるかのように話すは、さっきまでひどくゆがませていた表情を全部覆い隠して笑った。そういうところが、越えられない年齢と経験の差なんだろうか。ひどく眩しい笑顔だと思った。

「僕は…あなたが思うほど、大人じゃあないんです。こうして気持ちを伝えることすらうまくできない、どうしたらいいかわからなくて避けてしまうような子どもだ」
「あなたが大人っぽいから好きになったんじゃないんだよ。…もう、フーゴくんは理屈で考え過ぎ。好きなんて理屈じゃないんだからそんなにガチガチに堅苦しく考えることないのに」

やっぱり、手の届かないような大人だ、と思った。けれど、カウンターに置かれた手は伸ばせば簡単につかめてしまう。

「…が好きです。どうしたらいいかわからなくて、避けていてごめんなさい。これからものエスプレッソが飲みたい、毎日でも。…あの、電話番号、教えてもらえませんか」

最後の一歩は、自分で踏み出したかった。その言葉に、は「プロポーズみたい」なんて言って笑うから、結局僕は顔を赤くしてしまって最後までかっこつけたりなんかできなかった。ねえ、その花束、受け取ってもらえますか。


初恋は不器用