「いらっしゃい、ベイビィフェイスのメローネさん」なんていっては部屋の窓を開け放つ。そのセリフに苦笑しつつ「お邪魔するよ」と靴のまま上り込んだのは2階の窓だけれど、微かに聞こえた下階の音を見下ろせば窓から老人の顔が覗いていた。

「正面から入れと言っているだろう」
「悪いね、暗殺者なもんでさ」

彼はの父親であり、パッショーネの幹部であり、暗殺チームの自分の直属の上司である男よりさらに上の立場にいる人物だ。たまたま公園で見かけた少女が気になって声をかけてみればまさかそんな重要人物だなんて、運が良いんだか悪いんだか。まあ、あそこで彼女を母体にしようなんてカケラも思っていなかったことは幸運だろう。だっても、その両親もスタンド使いで、外にいるときは常にのそばには守りがかけられていたらしいから。ちょっとでも危害を加えようとしたらその瞬間に俺の命はなくなる予定だったらしい。まったく、ふんわりした病弱なお嬢様の姿をして、なんて女だ。

それ以上の文句を言うつもりはないらしい老人の顔は引っ込んで、かわりに「あとでお茶を持って行きますね」とおだやかな声が聞こえた。とそっくりな、けれど落ち着いた大人の女性の声だ。メローネの靴はバルコニーで数回コツリと音を鳴らした後やわらかい絨毯を踏みしめて、ようやく2階の窓は閉じられた。

「お父様はああいうけど、本気じゃないのよ。たのしんでるだけ」
「わかってるよ。本当にそうしてほしいなら力づくで言うことをきかせる人だろ?」
「ふふ、そうね。お父様はいつだって」
「「私とお母様以外にはとびきりに厳しい方だから」」

の穏やかな話し方は癖になってよく耳に残る。何度か聞いたセリフを重ねて言えば、まあ、と口に手を当ててはおかしそうにくすくす笑った。お淑やかと言うんだろう。友人などはいなくて、この家と病室を行ったり来たりしながら生きてきたらしい。メローネの周りにはいなかったタイプの彼女は新鮮で、面白かった。

高級そうなカップを置いて出て行ったの母親はお上品で美しいご婦人、って感じなのに、彼女もギャングだというから驚きだ。そりゃあいろんな奴がいるだろうとは思っていたけれど、やっぱり想像していない人間がいると驚くものだ。

、今日は何の話が聞きたい?」
「うーん…、この前話していた…っけほ、ごめんなさい、ちょっと」

あまり外に出ないは俺の仕事の話を聞きたがる。どれもこれも結局は人を殺した話なのにそれを興味深いと聞きたがるはやはりギャングの娘なのだなと思うけど、そもそも他人を知らな過ぎて殺すというイメージすらしっかりつかめていない可能性もあるな、とメローネは思っていた。

けほけほと咳き込むとき、はいつも口元を手で覆って顔を背ける。小さい背中がこっちを向いて震えるのを黙って見ていられなくてさすってあげたいけれど、そうするとは無理をしてでも笑顔を作って「ありがとう」と言おうとするからやめにしたんだ。俺のことなんか気にしないで、自分の身体のことだけを大事にすればいいものを。

「最近また調子が悪いんじゃないか?」
「そんなことないわ、退院して1週間しかたってないのよ」
「でも」

ううん、と首を振って俺の言葉をさえぎって仕事の話の続きを促されれば、結局俺はぺらぺらと話し始めてしまうのだった。その時だけは、まるで身体が苦しいのを全部忘れてしまったみたいにが笑うから。「ホルマジオが小さくした人間をミキサーでとろとろにした」とか「イルーゾォが鏡から首だけを外に出してゆっくり尋問してた」とか、そんな話をクスクス笑ったり大げさに驚いたり顔をしかめたり、感情豊かに聞いてくれるから俺もつい楽しくなってしまう。関係者の娘だからできる話だ。

一通り話して笑って、3回くらい紅茶のお代わりをもらって、夕飯でも食べていかない?と声を掛けられたのはすっかり陽が落ちて暗くなった時間だった。明日も仕事はないしいただきますと返事をして、すっかり話疲れた喉を休める。

「メローネさんのお話っていつも面白いわ」
「暗殺者の仕事の話を面白いっていう女なんてくらいだ」
「あらそう?お母様も気に入ると思うけど」
「…訂正。ギャングだけだよ」

それはそうかもしれないわね、って言いながら立ち上がったの長いワンピースは下の方がしわしわになっている。部屋に入る時にはいつもしわ1つない白い布に刻まれるそれは、俺とここにいた時間の長さを物語るようで嫌いじゃなかった。





の母親は料理がうまい。その辺のリストランテで食べるよりずっと豪華でおいしい食事は最高で、同席するのが幹部の夫婦というのを差し引いたって何度でも食べたくなる。片づけを手伝って、そろそろ帰らないと、と向かう先がまたの部屋なのを父親がからかって、暗殺者だからさなんていう来た時と同じやり取りをする。

「メローネさん、次はいつ来られる?」
「さあ…明日は休みだけどそのあとはまたしばらく仕事だな」
「…そう…」

うつむいてあからさまにがっかりされると罪悪感が沸き上がる。またすぐに来るよ、なんて軽々しく言える立場じゃないから言わないし、ずっと待ってるなんていうのを彼女が言えないからっていうのも俺は知っている。

「なあ、先月のバレンタインにもらったチョコ、嬉しかったよ」
「…どうしたの?なんだか危ない仕事に行くみたいだわ」
「そうじゃないさ。ただ、お礼をするなら今日かと思って」

指をさした先のカレンダーの日付は14日。腑に落ちない顔を納得した表情に戻してからは手ぶらで窓に背中を預ける俺を見る。

「…お礼って言っても、メローネさんは何も持ってないじゃない?」
「まだ気づかないか?」

にぶいなあ、とからかうように言うと少し膨れた顔をして、「本当にわからないわ」と部屋を見回す。本当に気が付かないか?と俺が左手を持ち上げて、その指に銀色が光るのを見たはようやく自分の手を見下ろした。同じ指に光る同じ色の指輪は、階段を上がる時手を取った時にはめたんだ。全く気が付かないから、あんまりにも無防備で驚いた。けれど、気づかなくて驚いたのはも同じだ。

「ちょっと、メローネさん、これ」
「次に会うとき、お互いがどんな姿でもわかるように。…なんて、ちょっと悲観し過ぎかな」
「……ううん、私たちには、きっと大事な事だと思うわ」

儚い、としか形容できない笑顔が咲いた。じゃあまた、って窓から飛び降りて、裏庭に音を立てずに着地する。

そのまま振り返らないで帰るのがきっと1番良かったのに、俺は馬鹿で、そして恋心ってものを完璧に抑え込めるほど人間らしさを捨てていなかったから、我慢できずに裏門のところで振り返った。ベランダに蹲る小さな身体、意識すれば聞こえる風に乗った咳き込む声。俺と彼女に、次なんて約束は存在しない。また会えたらって、ちいさく呟いた嘘はには届かない。どうか今の嘘が、嘘になりますように。信じていない神様に祈った。

また会おうね、なんて嘘