イルーゾォは決まった家をもたないで過ごしていた。鏡の中の世界はいつだって安全だし好きな時に好きな家に住める。たった一人、音も生き物もない完全に静かな世界。その静かな空間で、ボロボロでいくつかのページが抜け落ちているメモを開く。

という女がチームにいたのだ。彼女は相手の中にある自分の記憶を対価に傷を癒す、天使のスタンドを持っているらしい。2年前、遺跡で目覚めた自分が出会ったあの少女に間違いないだろう。少しだけ泣きそうな、でも心から安心したような、複雑な表情の少女はイルーゾォに初めて会ったような態度で接してきた。その行動を、このメモと突き合わせるとひどく胸が痛む。

「でもなあ、思い出せねーんだよな…」

まさかとは思うが自分の妄想の女なのかもしれない、と思うほど、その少女のことは思い出せなかった。ここまで思い出せないのがスタンドの力ならそれは仕方ないのだろうけど、それにしても気にかかる。それに加えて、ここ数日どうにも調子が悪い。たとえば今座っているこのふかふかのイスだ。座った瞬間に、一瞬何かが脳裏をよぎった。雰囲気すら掴みとれないそれが何なのかもどかしくて仕方がない。

昨日は足音を何もかも吸収するような毛足の長い絨毯の上を歩いている時に、一瞬だけ何かを思い出しそうになった。一通り目を通したはずだったメモ帳を最初からめくっているのはそのためだ。もしかしたらその少女と、何か関係があるのかもしれない。

読みながら体が疲れて、手近なベッドに横たわった。豪華で大きなベッドは寝心地が良い。体の疲れを全部吸い取ってくれそうだ。そうして1枚、また1枚とメモをめくっていくうちに、また何かが脳裏をかすめる。

――こんなふかふかのベッドはじめて!

声が、聞こえた気がした。気のせいに決まっている。この空間には誰もいないのだから。それでも確かに耳に残る楽しそうな少女の声。これはの声だろうか。頭の中でひっそりと鍵をかけて閉じ込められてしまった記憶なのだろうか。ズキズキと頭痛がした。

―私のことが大好きで大好きで仕方なくって、ちょっと気を病んじゃった彼氏みたいだね。

ああ、そうだ。まちがいなくの声だ。だってこんなにも泣きそうになっている。

「あながち間違いじゃないかもな、その認識は…」独り言は、実にしっくりとなじんだ。そうだ、の声だ。2人で仕事に行くときに、豪華絢爛な部屋ではしゃぎまわる。そんなただの子どもみたいなが、両親に忘れられギャングになり人を殺して、やっと自分たちという仲間ができたにもかかわらずスタンドを使うたびに俺たちの記憶から消えていくだなんて、そんなのあんまりだろう。無邪気に笑う顔をみているとふいに泣きたくなることがあった。

イルーゾォはそれほど我慢強い性格なんかしていなかったから、そんな気持ちが抑えきれずあふれ出すことも多かった。けれどそんなとき、子どもみたいに無邪気なは急に慈愛に満ちた天使みたいな、自分のスタンドとそっくりな雰囲気をだして俺を抱きしめた。子どもに慰められるなんて情けないと自分のことを笑ってやりたかったけど、そうできないほどに優しいのだから困る。そしてそんな優しさを、自分は2年間も完全に忘れ去っていたらしい。

「…んだよ、もっと早く…思い出せなかったのかよ…」

書いて、あったのに。

自分のメモが信じられないほどに思い出せないなんてどれだけ強いスタンドなんだと。けれど思い出せたというのは、もしかしたらスタンドが消えて、なんて縁起でもないことを思いついた。…は今、無事なのか?