ソルベとジェラートが訪れた数日後、ふいにすっきりと目が覚めた。何かの予感があったのかもしれない。

レモンの世話をして街へ出る。今日も暑いね、と声がかかる。リゾットさん、今日も男前だね。そんな声がかかる。街の人との交流を避けていた過去の自分からは考えられない穏やかな時間を過ごしていると、小さな子どもを連れた親子が歩いているのが見えた。
急激に何かがフラッシュバックする。

誕生日おめでとう。そう言われながら歩く少女の手には真っ赤な風船。うさぎのぬいぐるみを抱いていた。

「わたし、きょうのことぜーったいわすれないわ!ありがとう、パパ、ママ!」
「本当?大人になっても?」
「わすれない!わすれないもん!おもいでは、いろあせない…?って、テレビでいってたわ!」
「むずかしいことを知ってるなあ!」

その言葉に何かひっかかりを覚えて立ち止まった。
仲睦まじい親子の様子は実に微笑ましいが、ああやって歩いていた従姉の姿を思い出してしまう。優しい従姉とその夫と、それからとびきりにかわいらしい娘がいたのだ。いたのに、気づいたらいなかった。そのことと、自分の記憶が閉ざされているのは関係があるのだろうか。
ざわざわと耳鳴りのようなノイズが走った瞬間、「危ないぞ」と誰かが叫ぶ声が聞こえた。

突っ込む車。
運転手の焦る顔が見えた。
甲高いブレーキの音と悲鳴。
とっさにメタリカで車の方向を変えてギリギリ減速させたけれど、娘をかばった両親が怪我をしたのが見えた。
救急車を呼ぶ声が聞こえる。

あの怪我と出血なら死にはしないだろうという冷静な判断の裏側で、その光景に過去の何かの記憶が干渉して激しく頭が痛んだ。ほとんど使っていなかったスタンドを久しぶりに使ったのも影響したのか、ぐらぐらと眩暈がする。

「大丈夫ですか!?私は医者です!」

そう叫んで人ごみをかき分けて飛び出してきた夫婦がいた。私たちは医者です、救急車が来るまでの応急処置ができますと夫の方が倒れた夫婦に駆け寄り、妻の方は泣きじゃくる娘をそっと抱きしめた。



リゾットの頭の中で何かが弾けるようにつながった。



―――リゾット、リゾットが覚えていてくれる限り私は大丈夫。



そう言って笑う少女の顔。

の顔。

そうだ、俺が忘れていたのはだ。


こんな戦いに行かないでと泣いて引き止めた、けれど置いていかれた彼女が、仲間の戦いの後を追いながら1人ずつ蘇生させて歩いたのだ。全員の中の自分の記憶を1人ずつ消しながら、それでも生きていてくれればいいのだと、自分の両親のことを話す時のようなあの顔で。ほとんど泣いているようなものなのに決して涙をこぼそうとしない強がりで泣き虫のが、たった1人で。
ジェラートとソルベを生き返らせたのもだと思い出した。あの2人にのことを知らせない判断をしたのはリゾットだ。他の仲間にも、のスタンドの副作用を知らなかったから話せなかった。これまでももやもやと不可解さがすべてクリアになって、目の前の事故で想像しい世界の色が一層鮮やかになったように思えた。全部、全部思い出した。

なぜ忘れていたんだと血の気が引いた。
呆然と立ち尽くし買い物袋も落とす。
ただその場で叫びだしたくなった視界には応急処置をしている夫婦の背中が見える。はこんな事故で両親に忘れられて、俺がこんな世界に引き入れて、そして仲間のことを両親と同じくらいに愛してまたその命を救った。そんなきっとならこうするに違いない。
必死に処置をする夫婦の背後から、メタリカで出血をとめた。不自然じゃない程度に、けれど確実に命は助かるように。その行為に集中していたらしい。ふと、女性が顔をあげた。その瞳がリゾットを見上げて、瞳が大きく見開かれる。

「…リゾット、ちゃん?」

…この女性を知っている。女の子を抱きしめる慈愛に満ちた空気を、大丈夫だよと笑いかける笑顔を、リゾットは知っていた。彼女はもう10年以上も会っていなかった、リゾットの従姉だ。

あの事故の後、一度面会に行ったきりリゾットは2人に会っていなかった。のことを話して、また「私たちに娘なんかいないわよ」と言われるのが怖かったから。その恐怖や悲しさを全部犯人への憎しみにかえて殺害したのだ。あれからどうしているのだろうと気になることはあったけれど、まさか医者になっていたなんて。憎しみから人を殺めてギャングになった自分とは正反対の生き方を選んでいる2人に向き合うなんてできなくて背を向けた。
自分が向き合えないだけじゃない、2人が命を懸けて守った娘まで、俺は人殺しにさせてしまったのだから。




   *




被害者の夫婦を救急隊に預け何かあれば連絡をくれと名刺を渡してから、なぜかリゾットは従姉夫婦と喫茶店にいた。偶然ね、あんなところで会えるなんて。そんな話をする従姉は10年以上たっても変わらず明るかった。のんびりと穏やかで、すべてを包み込んでくれるような雰囲気は医者として慕われやすいのだろうと想像する。

「リゾットちゃん、大きくなったわね」
「はい、もう30になります」
「そんなに?…じゃああの子は、もう22になるのねえ」

「………は、」

声に、ならなかった。従姉はのことを忘れているはずだ。

「…のことを、」

憶えているのか、と聞きたいのに、喉が震えて声にならない。

両親が自分を忘れたときの夢を見て泣いて起きるを何度見たかわからない。そのたびに「俺が覚えていてやるから安心しろ」と、「俺だけは絶対にお前のことを忘れないと」繰り返してきたのだ。

ちゃん、ね。正確には、思い出したというより”娘がいたことを知っている”って感じかな。どこかおかしいなって思ってたのよ。おうちには3人分の家具や食器があるし、知らない子とのアルバムがたくさんあるし。”私たちが事故の衝撃で娘がいたことを忘れてしまった”っていうのが一番現実的な答えかなって思ったの」
「…そうです、あなたたちの娘のは、あの事故の時2人と一緒に…」
「きっとあの時にいた子よね。あとから思い当たって必死に探したけど見つからなかった。私たち、あの子のことは私たちの命を救ってくれた天使様だと思っていたの。だからあの後、せっかく天使にもらった命だから命を救う人になろうって2人で猛勉強したんだ」

30にもなる大柄な男が店内で泣き出すというのは周りから見れば随分と奇妙な光景だったに違いないが、それでも2人は微笑んだまま、涙をこぼすリゾットにそっとハンカチを差し出してくれる優しい夫婦のままだった。





その日の夜、リゾットはソルベとジェラートに電話をかける。

のことを、思い出したんだ」

電話の向こうで、ジェラートが笑顔で頷く気配がした。