プロシュートとペッシの姿が見えなくなってから、私は適当な窓から列車内に移った。ノックが返ってこない個室にこっそりとお邪魔する。油断すると泣いてしまいそうな自分の心の弱さを一人で必死に抑え込んだ。ガタガタと揺れる一定のリズムに体を任せていると、まるで生まれたばかりの小さな子どもに戻って、母親が一生懸命にあやしてくれているような気持ちに陥る。私が一人で泣いていると、ジェラートなんかがよくこうして子どもをあやすように慰めてくれた。ジェラートは私のマードレだったのかな。そうするとパードレはソルベだろうか。それなら、私をこのチームに引き入れて住む場所と信頼できる仲間をくれたリゾットは…。



扉が開く音で飛び跳ねた。無賃乗車だから車掌が来ると困る、言い訳をしようと顔をあげて、「あ」という声が2人分重なる。

「メローネ、なんで」
「こっちのセリフだろ。こそなんでここに?…まあいい、じゃあ使えないからな。女を探してるんだ」
「…追跡してるの」

返事をせず、ちらりと私をみたメローネはそのまま扉を閉めて立ち去った。
私はあまりメローネのスタンドが好きではない。そのことを知っているメローネは極力その使用を私に気づかれないようにしてくれていた。そんな余裕もないくらいに追い詰められたような、どことなく張り詰めた空気を醸し出していたのはきっと他のみんなが生きていることを知らないからだろう。メローネはソルベもジェラートも死んだと思っている。ホルマジオも、イルーゾォも、プロシュートとペッシも。そうしたら、あとはアジトにおいてきた私とギアッチョとリゾットしかいない、ここまできたらもう後になんか引けないと思ってるに違いない。

「待ってメローネ」

すたすたと随分先を歩いていたメローネの歩幅が少しだけ小さくなった。

「ねえメローネ、もう…こんなこと、やめられないのかな」
「今更戻れると思うのか?」

心臓に冷水を浴びせかけるような、痛いくらいに冷たい言葉。みんな死んじゃったんだよ。そんなこと、言わなくたってメローネだってずっとずっとわかってるよね。もしここで私のスタンドのことを話して、そしてみんなは生きてるんだって伝えたら思いとどまってくれるだろうか。



結局何も言えない私は黙ってメローネの後をついて行って、メローネが知らない女性を母体にベイビィを生み出すのをぼんやりと見つめていた。ねえあなた助けてよ、と、一見無害に見えたのだろう私に手を伸ばす女性のことは哀れだと思ったけれどそれまでだ。こんなに攻撃的な性格をしているのだから、きっと良いベイビィが産まれるだろう。

列車を降りてベイビィの教育をしているメローネを窓から見つめて、やがて母体がバラバラと崩れ落ちるを見守った。こうして無関係な人を材料に産まれるベイビィフェイスの子どもは相当強い。スタンドのパワーは精神力というけれど、メローネの場合パワーは人間まるごと1人を材料に造られるのだから当然だ。窓から車内に戻ってきたメローネが「調子が良いぞ」と機嫌の良い声を出して私に画面を見せてくる。

背筋がぞわりとした。興奮したのかもしれない。メローネなら、勝てるかも。もしここでメローネが勝てるならどうしよう。私はどうせ敵わない無謀な戦いなんてしたくなかった。だから降りた。でも勝てるのなら?

ここで勝てるなら加勢したっていい。メローネに「みんな生きてる」って教えて、もっとモチベーションをあげたっていい。私が子機のところに向かって直接相手を叩いたっていい。けれど、そんな興奮はメローネの怒声にかき消された。

「ど、うしたの?」
「信じられない、ベイビィフェイスがやられた!」
「えっ!?」

まさか、そんな。いったい何をどうしたらそんなことが起こるのかわからない。列車は駅のホームに滑り込んでいた。それでも次の母体をみつければまだまだ追跡は可能なのだと、はやく次の女を探さなければと足早に列車を降りるメローネを慌てて追いかけた私の視界に飛び込んだものは、車体からするりと滑らかにメローネを目指して落下したプスプスと煙をあげる蛇だった。

「メローネ!!」

駆け寄ってももう遅い。かみつかれて一瞬で気を失って倒れたメローネにホームがざわつく。慌てて駆け寄ってスタンドを出す。だから、だからもう、こんなことやめたかったのに。一瞬でも勝てるかもしれないって思って加勢なんかしなくてよかった。もう、もうこんなにしんどい思いさせるのやめてよ。天使の光は真っ白で明るくて暖かくて、全ての物を包み込んでしまう。ほんの少し前すら見えないほどの眩しさは、けれど一般の人には見えていないらしい。「何、どうしたの?」「人が倒れたみたい!」「駅員さん呼んできて!」そんな叫び声が飛び交うのを聞きながら、真っ白な視界が徐々に日常の明るさを取り戻して。

「ん…あれ、俺どうしたんだ…」
「良かった…」
「君は?」

すっと目をあけたメローネはきょろきょろと辺りを見回している。周りの野次馬は倒れた男性が意識を取り戻したことで少しずつ減って行った。

「あなた、突然倒れたの…。大丈夫?頭打ってない?」
「助けてくれたのか。グラッツェ…ああもう、ビンが割れちまってる…ックソ」

抱き起した私の腕からするりと抜けだして、割れた小瓶から漏れ出した血液の混ざった液体を見て悪態をつく。駆けつけた駅員に「いい」と救助の断りをいれてすぐに携帯電話を取り出して「プロント?」の向こうから聞こえる怒鳴り声はギアッチョだ。私のことを知らなくたって、ああしてみんなの絆は繋がったまま。

とあるところで見つけた”例の写真”とやらの解析が終わったこと。そのヒントを追ってギアッチョはヴェネツィアに向かったこと。死んだはずなのになぜか死んでいないんだというメローネに、大声で罵声を浴びせてから、ギアッチョは「あとは俺にまかせとけ」と頼もしい声を漏れ聞かせた。

「本当に悪かったな、助かったよ。じゃあ」

座りこんだままの私を振り返り他人に警戒心を抱かせないために習得したうすっぺらな笑顔を見せたメローネは、ひらりと大きな手を振って去って行った。私なんかまるで他人で、きっともう今は私と会話したことすら忘れて歩いてる。メローネはそういう人だから。変な切れ込みの入った露出の多い服の背中を見つめて、一日中こらえていた涙が今度こそ出てこようとするのを全部押さえつけた。泣いてる暇なんかない。早くヴェネツィアに向かわなければ。



     *



間に合わないってわかってた。相手は移動に車を使っただろうし、ギアッチョはホワイトアルバムをスケートの要領で使って走るから、私がそれに追いつくのには随分と時間がかかってしまった。ヴェネチアの街は綺麗だ。朝日が眩しい。きらきらと光る海がきれいだった。まるでギアッチョといつも見に行った海みたい。

なつかしいなあ。ギアッチョ、最後にあの海に行ってからは1度も怪我をしていないから、きっとあの景色を覚えているはずだ。この朝焼けを、一緒に見た夕陽と重ねて私のことを思い出してくれたら、なんて。夢みたいなことを考えていたから、その光景はあまりにも心を抉った。

首が、折れているんだと思う。

喧嘩っ早いギアッチョにはきっと会わないほうがいいだろう。私じゃ絶対に敵わないし、言い訳をする時間も逃げる余裕もないかもしれない。距離を置いて、その崩れ落ちた身体の背後に回る。最後の一瞬、ギリギリまで戦い抜いたのだろう。この鉄の塊が喉を完全に貫く瞬間まで、ギアッチョは諦めなかったに違いない。そういう人だ。

そういう人だから、何度も何度も怪我をして、何度も何度も私のスタンドの世話になって、何度も何度もあの海のことを忘れたのだ。まったく困ったギアッチョだ。私のことを、こんなに寂しくさせるなんて。

真っ白な光は朝焼けをも飲み込む眩しさでギアッチョを包んで蘇生させた。人の命をこうも簡単に操れるものなんだなって、スタンドっていうのは神の領域にすら簡単に踏み込んでしまうんだなと、なんとなく思った。命を終わらせるのは生まれてしまえば誰だってできるけれど、生み出すのは別だ。私は思い出さえあればそれができる。こんな大きな力、人間が持ってはいけなかったのかもしれないね。

光が消えて、朝日も少しだけ和らいだ。朝の白い光が差し込みかけている。その中でゆっくりと頭をあげたギアッチョは、両手の感覚を確かめて首の後ろに触れてそれから首を傾げた。状況が飲み込めないという様子だ。

鳥の鳴き声、船の音、朝早くから活動する人の声が聞こえ始めている。もう私は通行人になれるかな。ゆっくりとそのそばを通り過ぎてみた。ああ、眼鏡、直らなかったのか。視力の低いギアッチョには私の姿なんか見えていないってことだ。ごめんね、それはさすがの私にもできなかったよ。

ギアッチョは真っ白な朝日を反射する海を眩しそうに見つめていた。何かを思い出すような切ない表情をしているように見えた。私が、そう思いたかっただけかもしれない。

俯いてゆっくりと首を振ったギアッチョは、やがていつもの猫背を作ってその場を去って行った。