ボス、ジョルノの使いでアサシーノのアジトを訪れることになった。
パッショーネとは別の独立した暗殺専門組織は、10人程度の小さなものだった。ボスはジョルノの半身だ。この話はジョルノと、自分しか知らない事実だった。
幼いころ、父を守る力がほしいと願った自分に手を差し伸べてくれたのが2人だった。当時はまだ小さな組織だったが、ジョルノがイタリア、が日本へ渡り急速に勢力を伸ばした。父が亡くなり身寄りのなかった俺は一時日本のに引き取られ日本の学校で学んでいたことがある。特に同じ家で生活し面倒をみてもらったのことは母親同然の愛情を持っていた。

今では彼女はパッショーネとは別組織のボスとして少人数をまとめているが、請け負う仕事はパッショーネのものばかりだ。仕事はほとんどがジョルノからいくので、こうして物理的な書類などが必要にならない限り彼女に会う機会はすっかり減ってしまった。今日会いにいくのは2か月ぶりだろうか。仕事で会わないのなら食事でも、と1,2週間程度の間隔で会ってはいたのだが、最近は忙しく気づけばこんなに間が空いてしまっていた。

の組織のアジトは不思議な力で守られている。許可されている者だけが認識できるという不思議な能力で支配された空間にそこはあって、そのエリアに立ち入るときは一瞬だけ頭から水をかぶったように冷えるのが少しだけ苦手だった。
コンコン、と2回ノックをする。

「パッショーネのブローノ・ブチャラティです」

カンカンと高い音が扉の向こうから聞こえて、ガチャリと開いた正面には笑顔のがいた。

「いらっしゃい。あがって」
「ああ、お邪魔する。…姉さん」

俺とジョルノからです、と真っ赤な薔薇の花束を渡せば、は少し目を見開きやわらかく笑う。

「グラッツェ。飾ってくるから、リビングに入ってて」

そっと頬にキスされるとそこだけ熱を持つようだ。ふわりと元気がでるのは自分がのことを家族としても女性としても愛しているからか、それとも本当にがエネルギーを送っているのかは不明だが。

リビングに入るとそこは組織の奴らが休日を自由に過ごしているようだった。ちらりとブチャラティを振り返るのは半分くらい。もっとも愛想がよいのはメローネという金髪にマスクの整った顔立ちの青年で、ようこその意味をこめて片手をあげる。それ以外はだいたい無反応だ。

「ごめんね、ここあけてもらえる?ブローノ、こっちにおいで」

リビングの片隅にあるテーブルについて何やらしていた様子のメンバーに声をかけ場所をあける。1人、メローネだけが「見ててもいーい?」と気の抜けた声をだしたので、とちらりとアイコンタクトをかわす。軽くうなずくと、やったーとこれまたゆるっとした返事をして頬をテーブルにつけた。猫のようだ。

席について持ち込んだ書類を並べる。内訳はこれ、次の仕事がこれ、それから先月の仕事がこれ、報告書についてのあれこれはこっち、と説明すると、は1度ですべて把握したようだった。

「とりあえず早めのやつは、今日中にお返ししちゃおうかな。ブローノ、今日ほかに用事は?」
「とくにはない」
「じゃあ待ってて。そんなにかからないと思うから」
「手伝おう」

胸ポケットから取り出した万年筆は日本にいたころブローノがプレゼントしたものだ。使い込まれた歴史を感じるその万年筆を、は今でもずっと大切に使ってくれている。そのペンでサインされた書類を見ると懐かしく、むず痒いような気持ちになるのは照れだろうか。
その手元を見ていたメローネが、あ、と声をだす。

っていつもそのペン使うよな。この前俺が書くもの貸してって言ったら持ってないって言われてさ、それあるじゃんって言ったら、これは人には貸せないって言われたんだよ。ブチャラティなんでか知ってる?」

それは純粋な疑問だったのだろう。付き合いの長いブチャラティなら、このチームのメンバーが知らないのこともわかると思ってのことだと思う。
そのメローネの疑問に、珍しく動揺したように肩を震わせたのはだった。

「ちょっとメローネ、いいじゃないそんなの」
「だってよ、全然教えてくれなかったじゃん。ブチャラティ、なんかあるんだろ?」

が、言うなと目で訴える。教えてくれるだろ、というメローネの視線も横から刺さるので勘弁してほしい。はあ、とため息をつくと、「さあ、俺もそんなに大切にしてくれていることは知らなかった」と正直に答えてみた。確かにプレゼントしたのは俺だが、それを他人に貸すのも断るほど、しかも見ず知らずの他人ではなくかなり身近なチームメンバーにすら触らせないほど大切にしているなんていうのは確かに初耳だったので。

「…はあ、ブローノのために秘密にしておいたのになあ」
「えっ?」
「もう、いいよいいよ。私は秘密にしたかったんじゃないからね」

何かあっただろうか。そのプレゼントへを送った時のことを思い返す。あれは日本で高校生活を送っていた時のことだ。まっとうな社会への就職は残念ながら約束はできないので、日本にいる平和なうちにたくさん経験をしなさいと言われ高校に進学してからすぐアルバイトを始めたんだ。そうして、初めて自分で労働した対価としての賃金を得た。
使い道なんてものはとっくに決まっていて、当然普段お世話になっているへの恩返しだ。そう考えデパートへ行き目に入った広告が、………

「あー、まって姉さん、ダメだ、俺が悪かった」
「もう遅いです」

ふん、とすねたように可愛らしく頬を膨らませてみせる。これは言ってはいけなかった、墓穴を掘ったなと思う。もう少し考えればよかった。彼女があれをなぜそれほどまでに大切にするのか、自惚れでなければ答えは明白だ。

「これはね、ブローノが高校生のときにアルバイトをして、初めてのお給料で買ってくれた母の日のプレゼントなの」

顔を両手で押さえた。耳が赤くないだろうか。たぶん赤いだろう。だってこんなにも熱く感じている。「へえ〜!」と好奇心とからかいとが含まれたメローネの声がうるさい。

当時すでに今の仕事のカケラを担っていただったが、日本にいる間は事務処理のほうが多かった。ボールペンのインクがすぐになくなるのだと言って替え芯を箱で買ってその辺に置いてあったのをよく覚えている。きっちりした服装で会合などに出かけるを見送るとき、その高そうな服、バッグ、靴、アクセサリーの中にまざる飾り気のない100円のボールペンが気になって仕方がなかったのだ。こだわるようなものじゃなかったのかもしれない。けれど、自慢の姉であり母でもあるに少しでもかっこいいものを持ってもらいたいと思うのは当然だろう。そうして、母の日のプレゼントコーナーの隅っこにある万年筆に目を付けた。
初めての給料が入ったから、いつもありがとう。そう言ってプレゼントを渡した母の日、「随分大きな子どもを持っちゃったな」とは笑った。実際それほど歳の差のないブチャラティを自分の子どものように育てるのは大変だっただろうと思うが、はそんな苦労を見せずにいつでも自分を守ってくれていた。本当にありがとうね、といって抱きしめられたあときのあたたかさと頭上で聞こえたすすり泣くような声のことも思い出した。

「……姉さん」
「ママって呼んで…」
「…母さん」

火照る顔を押さえて呼ぶと、絶対に面白がっているという表情で母と呼ぶよう強制される。なんて日だ。メローネだけじゃない、部屋にいる全体が聞いているのを背後からの圧で感じる。どうにでもなれだ。を母親代わりに育ったことは事実だし、恥でもない。むしろ誇りだ。子どものころからの隣での働く姿を見てきたのだ。何も恥ずかしがることはない。そう、恥ずかしがることはない。

「最近は何もしていなかったな。今年の母の日は何か贈るよ」
「ふふ、そんなのいいのに。私はブローノが毎日ちゃんと生きていてくれるだけでうれしいのよ」

そっと頬を撫でられて、やっと冷めた熱が戻ってくるのを感じる。勘弁してくれ。こういうのは2人きりでしてほしい。小さくはあ、とため息をつくと、はごめんね、とぱっと手を放す。

「はい、これだけ持って帰ってくれる?あとはまた届けるね」
「そうだな、たまにはこっちの奴らにも会ってやってくれ」

書類を受け取りパラパラと捲って確認をする。がミスをすることはない。きれいな筆記体で書かれたサインと、ところどころに赤いボールペンのしるしがついているくらいだ。そこはこちらのミスか勘違いによるものなので帰ってからまた確認しなければならない。
帰りを見送りに玄関まで出てきたの身長は、出会ったころと逆転し随分と小さい。つむじまで見える小さな女性に、自分がこれほどの愛情を持っていることを彼女はしっかり理解し受け止めてくれている、懐の深い女性だ。

「では、また食事にでも。母さん」
「うん、またねブローノ」

頬にキスをして、ひらひらと手を振って見送られる。家族の暖かさにふやけそうな心と表情をきゅっと引き締める、帰り際のこの冷たさがブチャラティは嫌いじゃなかった。