私は生まれることができなかった。そのことを悲観したりはしていない。生も死も持たぬ代りに彼に出会えたのなら、それは私にとってどんな物語よりも幸運であったと思うから。


雪の降る公園のベンチに腰かけ、空を仰ぐ青年。
ふわふわのコートはとても暖かそうだ。一方私はとても薄着で、ぬくぬくした彼に意地悪をしてみたくなる。待ち合わせの時間から早5分。彼は時計に目をやることもなく私を待っている。待たれている私はというと、彼の座るベンチの後方、大きな木の陰からじっと彼を見つめている。

15分が過ぎたころ、イヴェールがちらりと時計を見た。そろそろ「遅いな」と思い始めているころなんだろう。もう限界か。雪を遮る葉のない公園へ一歩踏み出す。さくさく、と足元の雪を踏み鳴らし、私は彼の首筋に冷え切った手を差しこんだ。

「っ、つめた!」

「そんなあったかそうなもの着てるんだからいいでしょ」

、と私の名前を呼んで振り返った彼は、右手で冷えた首筋をさすりながら右手で私の手を握った。冷たい、と綺麗な顔を顰めたから、寒かったんだもん、と答えると、彼は数秒の間をおいて立ちあがり歩き出した。

「え、何、何処行くの?」

「僕の家」

驚いた私は積もった雪に足をとられて前につんのめった。しかし転ぶことはなく、おなかに回されたイヴェールの手に支えられ元の位置に戻る。

「そそっかしいな。そこも可愛いけど」

「からかわないでよっ」

本気なんだけどなあ、とくすくす笑うイヴェールが恥ずかしくて、少し離れた場所を歩く。さくさくと音を立てる雪は、私の記憶の中で溶けたことは一度もない。停止した時間、それが今だから。

そこで過ごしてきた時間はとても楽しいとは言い難いものだった。母を恨んだこともあった。なぜうんでくれなかったの、と。そのたびに故意にこの結果を招いたのではないまだ見ぬ母へ幾度となく心の中で謝罪をし、自己嫌悪に陥り、それを繰り返してきた。

こんな場所であなたに会えたことを嬉しいとか幸せだとか、そう言い切ることあまり好ましくないと思えた。あなたの存在に出逢ったことは私にとって限りなく幸福であるのだけど、お互いこの場所で出会ったということは全然嬉しくない。

願わくば、違う物語ではうまれてきた貴方に会いたい。生まれてきた私として。

そしてイヴェール、貴方の隣で夜へと往きたい。

振りむいた笑顔にたまらない切なさを感じながら、私はいずれ訪れるともわからぬ物語へ想いを馳せた。




沈んだ物語



(其処に物語はあるのかしら)