なんとなく風が冷たくて、ふと気がつくともう8時。当然教室に人はいなくて、ふわふわする寝起きの頭が放課後を寝て過ごしてしまったのだと理解する。大変だ、すぐに帰らないと。そう思い慌てて立ち上がったけど、足がからまって大きな音を立ててしまった。耳を澄まして、警備員や教師が来ないことを確認する。こんな時間に教室にいるなんて絶対に怪しい。とにかく学校を出なければ。鞄を持って玄関へ向かい、靴を履く。今日は家に誰もいない。だから晩御飯を作らないといけなかったが、もう無理だ。お風呂に入って、さっさと寝てしまおう。あれだけの時間寝ていたのに、まだ瞼が落ちてくる。そういえば最近、あまり寝ていなかったかもしれない。どこかの、誰かさんのせいで。

学校から家までは近くない。変にちらつく薄暗い街灯の下を歩く足が速くなっていく。こんな時間まで寝てるんじゃなかった。今更後悔したって戻れないから、今はひたすら歩くしかない。曲がり角を曲がったところで、急にケイタイが鳴った。ここ最近鳴ってなかった、大好きな人の音。

「も、もしもし・・・!」

っ!お前今どこにいる!?」

突然鳴った音と、出た瞬間に響いた怒鳴り声。びっくりして落としそうになったケイタイを慌てて持ち直す。

「え、え?今学校から帰ってるところ・・・だけど」

「は?バカじゃねぇのお前!すぐ行くからそこ動くな!」

「な・・・」

ぷつり、と電話が切れた。とりあえずこのまま帰るべきか、それともおとなしく待っているべきか。おろおろしていると、向こうから走ってくる人影がみえた。暗くてよく見えないけど、必死なのがわかる。

「お、お前・・・っ、こんな時間まで何してたんだよ!?」

両肩にものすごい力がかかって、痛い、と抗議の声をあげた。大きな手はあつくて、急いで来てくれたんだなあと思うとなんだかもやもやした。今は私に向かっているその真剣さは、いつもあの子のものだから。

「どうしたの?・・・すごい汗」

「ばか・・・どれだけ心配したと思って・・・!」

「心配?」

そう聞くと、額の汗をぬぐっていたブン太の動きがとまった。

「いや・・・ほら、あまりにも来るの遅いから」

「え?」

「ん?」

「なんのこと?」

「お前が今日うちに来るって・・・聞いてねぇの?」

そんなのぜんぜん聞いてない。今はじめて聞いた。手に持ったままだったケイタイを開いてみると、新着メールが2件。お母さんから「今日は丸井さんのところに行ってね。」その後に「鍵渡すの忘れちゃったでしょう?」と。よく考えてみると確かにそうだ。私は家の鍵を持ち歩く習慣がない。

「いまきいた」

「遅ぇ」

「・・・ごめん。教室で寝てたらこんな時間に」

「やっぱりバカだな」

「うるさい!」

ばかにしたようににやりと笑った表情にドキドキする。こうやって話すのはずいぶんと久しぶりだ。

昔からずっと、ずーっと大好きなこの幼馴染は、高校に入ったとたん彼女をつくっては別れ、つくっては別れを繰り替えしている。そのたびに私に彼女の話をするんだからたまったもんじゃない。一番付き合いが長い私でも知らないブン太を、彼女達はたくさん知っているんだろうと思うと悔しくて寂しくて仕方がなかったから。だからある日言ってやった、「アンタの話なんて聞きたくない」と。それ以来、お互いの家を行き来しなくなった。話すこともなくなった。

「心配して損したー」

「やっぱり心配してくれてたんだ」

「当たり前だろぃ?」

早く帰ろう、と言わんばかりに、当たり前のように私の手を取って歩き始めたブン太が振り向いて言った。ぴたりと立ち止まった私に引かれてよろけたブン太は、訝しげな目でこちらを見ている。

「何この手」

「つないでる」

「そうじゃ、なくて!」

つなぎ方に問題があるのだ。恋人同士がするように、指と指を絡める。

「嫌?」

「いやでは、ない」

「じゃあいいじゃん」

「なんでっ・・・!」

好きだから。そう言ってぐいっと手を引っ張るブン太の力に、何もしていない帰宅部の私がかなうわけもなく。ぐらりと傾いた体が勝手にブン太によりかかる。そのまま反対の手であごをぐいとつかまれ、お前は?と聞かれた。吐息がくすぐったい距離。顔が赤いとか、もうそんなの通り越してる。心臓が飛び跳ねてとまってしまいそう。つないだ手があつい。だいすき、とやっと出てきた言葉を、ブン太はそのまま飲み込んでしまった。


寝過ごした後に


(今日は一緒に寝ような) (・・・うん。え?)