ピストルズのやかましい声が聞こえないから誰もいないと思ったのだけど、リビングに入ったら3人掛けのソファを占領して眠っているミスタがいた。なるほど静かなわけだと、音を立てて開いた扉をそっと無音で閉める。見事な腹筋の上には文庫本が乗っていて、彼が意外にも読書家だったことを思い出す。ミスタが本を読んでる、珍しい!って騒いだ私に、ミスタは存外結構本を読むのだと教えてくれたのはブチャラティだったっけ。

何の本を読んでいるのかな、このままだと落ちて折れてしまうかもしれないし。好奇心と優しさを半分ずつ含んだ気持ちで近づいてそっと本を手に取った。ミスタの手に持たれているとずいぶんと小さく見えるけれど、ごく普通のサイズの文庫本だ。

さてタイトルは、とひっくり返したところで、ひらりとしおりが落ちた。拾い上げたそのしおりはずいぶんと古びたもので、いびつなそれは手作りみたいだった。ラミネート加工された白い画用紙。くるりとひっくり返して、私の心臓はドクリと跳ねた。



このチームに来た時、私は少しでもみんなと仲良くなりたくて必死だった。何でも手伝いを名乗り出たし言われたことは何でもこなした。そんな中で、お前は少し気負いすぎだというミスタが何の仕事でもないただのお散歩に連れ出してくれたことがある。近所にこんなところがあるなんて知らなかったという自然がいっぱいの公園で、私は子どものようにはしゃいでしまった。優しくしてもらった。仕事の時は怖いけど、普段は一番友好的で優しいお兄さんのミスタ。

ありがとうの気持ちを伝えたくって一生懸命地面を探した幸運をもたらすといわれる4枚の葉を持ったそれを見つけて、満面の笑みで差し出した時のあまりにも予想外な反応は…わかる人にはわかるだろう。



泣きながら帰った私とミスタの訴えを聞いてブチャラティが慰めてくれたけれど、あれきり私はミスタに完全に嫌われてしまったのだと、そう思っていたのだ。

「あの時の…?」

手作りのしおりに挟まれていたのは、水分を失ってパリパリに乾いた四葉のクローバーだった。まさかミスタがこんなものを自分でみつけてくるはずないし、それならこの四葉は間違いなく私が見つけたものだ。あの時、そういえばミスタは一度受け取ってくれたんだった。目をつぶって、とお願いして私がその手に乗せたから。あまりの剣幕でまくしたてられたショックで四葉の行方なんて完全に忘れていた。

呆然と葉っぱを見つめる私の気配を感じたのか、眠っていたミスタがもそりと動いた。ん、と声をあげてあくびをして体を起こすので、ついぽかんとそのゆっくり開いていく目を見つめる。

ミスタの目って真っ黒できれいだ。そんな今は全く関係ないことを考えながら見つめていたら、起き上がって覚醒したミスタの視線が私の手に持たれた文庫本と、それからしおりをとらえた。

「うおっ!?何してんだよ!」
「ち、ちがっ、お腹に本置いて寝てたから、落ちたら折れちゃうと思って…」

半分だけ正解のことを言って後ずさる。そうしたらミスタは頭をかきながら「あんまりおもしろくなくて、読みながら眠っちまったんだ」とぼやいた。グラッツェ、と手を伸ばしてきたので、その手に渡すべきなのはこの本としおりだろう。でも。

「あの、ミスタ、このしおりって…」
「…あー、何だよ」
「四葉のクローバーなんて、その、珍しいね。ミスタがもってるの」

珍しいなんてものではない。シラを切るにしたってもうちょっとまともな話題選びがあっただろ。けれどミスタはあきれるでも笑うでもなく、私の手の中のしおりに手を伸ばした。

「これなあ、昔好きな女にもらったんだよ」
「え…」

私があげたやつ、だなんて、思い上がりだっただろうか。上がっていた体温が急激に下がる。ざっと、血の気の引くような音が聞こえた気がした。
もしかしたら嫌われてなんかいなくて、むしろ好かれていたのかもしれないだなんて思い上がり。特別なのは私ではなくその女の子だっただ。急に泣きそうな気持ちになって、でもそんなことしたらミスタを困らせてしまうからぐっと飲みこんだ。

「そ、うなんだ」
「何泣きそうな顔してんだよ」
「ミスタ、好きな子いたんだね…」
「はあ?」

呆れていますっていう声だ。
ミスタがあの日公園に誘ってくれたこと、私は本当にうれしかった。私のこと、後輩の女の子として面倒見てくれてるだけだってわかっていたけど、それでも私はミスタのこと最初からずっと好きだったから。

ぶっきらぼうでおっかないアバッキオとも、頼りになって尊敬できる上司のブチャラティとも、同い年なのにとってもしっかりしているジョルノとも、頭が良くて紳士なフーゴよりも、年上なのにかわいらしくて友達みたいに遊んでくれるナランチャとも違う。

仕事をするときは誰よりも冷徹で、全部の光を飲み込むような黒い瞳をすっと細めるミスタ。その目は私を見るときには、なぜかきらりと輝いて、少しだけその黒目に私をうつしてくれるんだ。

真っ黒な目のなかにいる私を見るとき、その私はなぜかとても幸せそうな顔をしていて、それは恋をしている顔だった。だから私はミスタのことが好きだって気づいた。あなたの目の中にいる私が、恋をしていることを教えてくれた。初めてのことだった。そう、初めてだった。初恋は実らないと、よく言うじゃないか。

「…泣きそうなんかじゃないよ」
「アア?そんな顔してよく言うぜ」
「泣いてなんか、」

泣くわけないじゃないか。たった今この瞬間まで、ミスタには好かれていないと思っていたんだから。一瞬だけ、ほんの一瞬だけ気持ちが浮ついて、それから落ちてきただけのこと。そんなちょっとしたことで泣いていてギャングなんかやってられるか。ぐいっと泣きそうになった目を拭って、深呼吸をした。

「…回りくどい言い方はお前には通用しねーなあ」
「……え?」
「ネガティブなとこ、どうにかなんねーのかよ。縁起でもないクローバーなんかお前にもらったものでもなければとっくに捨ててるぜ」

ぱちんとかっこよくウインク。その言葉の意味を理解するのにかなりの時間がかかって、ようやく、最初から最後までの会話の意味を理解した。うそ。小さく呟いた声に、嘘だと思うか?と首を傾げて笑ったミスタは、確かにこんな柔らかい笑みは誰にも向けたところを見たことはなかったし、ほんのりどころじゃなく赤く染まった耳はそれが私の都合の良い解釈でも勘違いでもないのかもしれないって思わせた。

ハッピークローバー