「俺はさ、人を殺せるような人間じゃあないんだ」
「……ふうん」

いつもの意味のない軽口だと思った。メローネはいつもそうだから。だから適当に聞き流した。それもいつものことだから、メローネは気にした様子もなく話を続ける。

「人を殺すなんて嫌だったんだ。でもこんな組織に落ちてきて、こんなチームに入ってしまったら殺すしかないだろ? 嫌で嫌で仕方がなくて……、だから俺は与えられた”メローネ”っていう名前の人格を作った」
「そうなんだ」
「どうでもいいと思ってるな? それか嘘だとでも思ってる? いつもの俺のいつもの意味のない話だと、思ってるだろ」
「そりゃあ……、ねえ、その話って今しないといけない?」

状況が分かっているのかな。ちらりと視線を向けたらメローネが真剣に私を見ていたから少し驚いた。ほんとに、状況がわかってる? 数日間で一気にことが進んだから頭がパンクしそうだけれど、今の私たちはボスの娘、トリッシュを護衛していたチームとボスの戦いを見守っているところだ。まとまった人数で挑めばかえって不利になると、二手に分かれて潜んだことは結果として有利に働いた。肉体と精神が入れ替わってしまうなんてことに巻き込まれなくって本当に良かった。

万が一のときにはすぐに加勢できる場所、けれど見つからないような位置で、いつでも動ける用意をしているときに、戦況も気にせず私にそんな話をするメローネに構っている暇は、正直に言ってなかった。

「わかってるさ。わかってるから今じゃないといけない。アイツらは勝つよ。俺にはわかる。ボスは死んで、新しいボスはブチャラティか……新入りかってとこだろう」
「なんでそんなことがわかるの」
「わかるんだよ。もう時間がないって。……もう終わりだって、”おれ”が言ってるんだ」
「……ねえ、ほんとに何言ってるの? 熱でもある?」

いい加減にしてくれ、と言いたかった。熱をはかるように額に触れようとした手を掴まれて、その手が想像よりずっと死んでいるみたいに冷たかったから言葉がでなかった。

「……消えちゃうんだ、俺。正確には”ギャングになって、人を殺して生きていた俺”が。いなくなるんだ。そう言ってる」
「な、に……、言ってるの」

冗談はやめろと、無視できたら良かった。聞かないでおけば良かった。

「覚えていてほしい。人殺しの俺は、のことが好きだった」
「嘘、だって」
のこと嫌っているように振舞ったのは怖かったんだ。だって俺は、いずれこの俺の人格が消えてしまうってわかってたから。の好意になんて気づきたくなかった」
「知って、て……、あんな、」
「こんなふうに生きなくてよくなったら、俺は自分が消えて昔のおれに戻ってしまうって知ってたんだ。それなのにの手を取るなんてゆるされないだろ」
「意味わかんない」
「わからなくていいよ。ただ覚えていてくれ。この俺は、のことが好きだった。それだけ、どうか覚えていてくれれば、それだけで」

握った手がするりと抜け出していくのを思わず追ってしまったけれど、再び捕まえた手はやっぱりもう生きていないような温度をしていた。なんだよ、とメローネが薄く笑う。意味の分からないことを言い逃げするなんてひどい、ずるい、そんなの絶対に許さない。けれどそんな言葉を私が投げかけるよりも早く、強く握っていたはずの冷たさは砂のように零れ落ちて消えてしまった。そのあとには何も残らなかった。


「……覚えて、ないの」
「悪いが何のことだかさっぱりだ。俺たちは九人だっただろう」

メローネが消えてしまったと、血相を変えて持ち場を捨てて仲間のもとに駆け寄った私へのみんなの反応は冷たかった。何のことだ、メローネとは誰だ。そんな悪い冗談みたいなことをみんなが言うから、いっそ私は笑ってしまった。なんで、どうして。私たち十人だったよね? 馬鹿な私でも分け前の計算を間違えないって、誰かが笑って言ったよね?
目の前で人間が砂のように消え去ったのだという点だけ、スタンド攻撃なのではないかという懸念から話を聞いてもらえた。だからその延長で、私もなんらかの精神攻撃を受けたのではないかとリゾットは疑い心配してくれた。でもね、その心配は私ではなくメローネに向くべきものだ。
持ち場を離れたことに関しては、ほぼ同時に決着がついていたことから不問とされた。ああ、ほんとに終わったんだ。メローネの言ったとおりだ。そうつぶやいた私を心配そうな目で見つめてくるペッシの優しさを含んだ視線すら嫌だった。
そのあとも、何日たっても、誰もメローネを思い出さなかった。対面で会話をしたはずの護衛チームの人たちもメローネを知らないと言った。こうなってくるといっそメローネというのは私が生み出した幻だったのではないかと思えてくる。そんなはずはないと思いたかったけど、どうしたって誰の口からもその存在を知らないという言葉しかでてこないから自信はなくなっていった。





あれから一年はたっただろうか。仕事の邪魔だからと短くそろえていた髪の毛は少し伸びて、私は今でもメローネのことを思いながら生きていた。暗殺なんていう物騒な仕事が極端に減った今のパッショーネでの私の仕事は主にボスの身の回りの警護。ずいぶんと”良い仕事”になったものだ。
今日もとある会合へ向かうボスに着いて行って、予定よりずいぶん早く終わったので彼の気まぐれで寄り道して食事をした。外食は気を遣うから嫌なんだけどな。そんな私のわかりやすい態度を笑ったボスが「ここは大丈夫」だと指定したリストランテ。どうやら店主と知り合いらしいそこの食事はとても美味しかったけれど、やはり疲れてしまったので早く帰りたい――と、思っていた私にボスはさらにもう一か所の寄り道を指示する。

「もう、なんで私が一緒の時に限って」
「食事は気まぐれでしたが、次の用事は貴女のための用事です」
「私のためって何ですか?」
「それは到着してからのお楽しみで……、あ、今の交差点は左でした」
「先に言ってください!」

十分ほど走って辿り着いた場所は、一軒の病院だった。

「病院……ですか?」
「貴女、一年前のあの日のこと覚えていますか?」
「……メローネ、が……」

その名前を、口にしたのは久しぶりだった。いつだってみんなが「そんな人はいなかった」と言うから怖くなって、いつの間にか私の中でその名前はタブーになった。けれどこうして聞かれると、はっきりと思い出してしまう。
人を殺して生きている人でなしの私たちの、それでも残ったいくつかある人間らしい感情のひとつ。好きという感情を私が一方的に抱き続けた人だから、忘れるなんてとうてい無理な話だ。
でも、それをボスがどうして。どうしてこんな知らない病院へ連れてきて、そんなことを聞くのか。

――もしかして、なんて期待をするのは怖かった。そうじゃなかったら心が折れてしまうかも。

それでも零れた私の言葉に、ボスは笑って「行きましょうか」と先を歩く。心臓の音が世界中に響いてしまうんじゃないかと思うほど大きかった。

「このことはまだ他の人には伝えていませんし、僕も彼を思い出したわけではありません」

スタッフといくつか言葉を交わし鍵のかかった扉を抜けた先の白い廊下を歩きながら、ボスが言った。

「貴女の様子から、話していることは本当なのだろうと思っていました。けれどあの状況でしたから、調査に時間がかかってしまって……。メローネというのは彼がパッショーネの一員になってから与えられた通称だったようです」
「そ、んなことも、言ってたかもしれない……」
「彼の素性、生い立ち、それから現在は何をしているのか……、ボスの交代で組織力が多少低下してしまったこともあって、パッショーネの情報網をもってしても調査に一年がかかりました。まあ、詳細は直接聞いた方がいいでしょう」

扉の横のプレートに名前はない。立ち止まったボスがそんなことを言って私を見るから、心の準備なんかできていない私はどうしたらいいかわからずただその顔を見つめた。

「い、るの」
「さあ、どうでしょう。自分で確かめてみたらいいんじゃないですか」

いじわるだと思う。ボスはいつもそう。そもそも性格が悪いのだ。けれど言うことはその通りでしかないから、私は震える手で扉を開いた。

白一色の部屋の少しだけ窓に近いところに、一つのベッドがある。床も天井も壁も何もかも清潔な白で、同じ色のシーツとまるで境目のわからない白のパジャマを着た青年が窓の向こうを眺めている。少しだけ開いた窓から吹き込む柔らかな風がレースのカーテンをふわふわと漂わせて、同じリズムで記憶より長い金髪が揺れていた。

「薬の時間には少し早いんじゃないか? …………、ああ、……そっか、なんだ、」

君かあ、と、呑気に嬉しそうな声を出したメローネに、一瞬で緊張は解け肩の力が抜けた。
なんだそれ、私が、一年もあなたのこと思って、心を痛めたことを何だと思ってるの。きっともう少し早い再会だったら怒ってた。けれどもう、やっぱり「しょうがないなあ」って思わせるからメローネはずるいや。

「私のこと、わかる? メローネ……は、もう、メローネではないのかも、しれないけど、私それしか名前を知らないから」
「ああ、わかるよ。俺に聞いてる。ずっと隣にいたから、俺の感情もおれの感情も一緒だったんだ。……消えたのなんて、ほんの一部でしか、なかった」と、メローネが言い切るより前に私は駆け出してその体に飛びついた。包帯なし、血のにおいもしない、ここにいるのはきっと怪我以外の理由だろうとわかっていたからできたことだった。メローネもボスも驚いたのを雰囲気で感じていたけれど、今この場で一番びっくりしてるの私だからね。

「メローネ、それしか知らないからそう呼ぶけど、私、怒ってるの」
「うん」
「ほんとに、怒ってるんだからね。今すぐにあれは何だったのか、教えてくれないと許さないから」
「話したら長くなるよ」

ベッドに片足をかけて、少しだけ距離を置く。少しだけ痩せただろうか。伸びた髪は私とお揃いだね。それから少し、柔らかく笑うようになった?

「いい。今日で終わらないなら明日も明後日もその次も、一か月でも一年でも、……一生かかっても聞かせてもらう。聞かせてくれるまで離れないから」
「困ったな、説明する気はあったんだけど今ので迷いが出た」
「……ばか」

ボスがそこにいることは忘れたことにして、そのままもう一度強く抱きしめたメローネの腕が腰に回る。頭を抱え込むように抱きしめたら金色の髪の毛からふわりといいにおいがして胸が満たされるみたいだった。……それから胸元がどうにも冷たいや。

「そういうのはご自由にやっていただいて結構ですけど、今日の僕の足は貴女しかいないっていうのは把握しておいてくださいね」と釘を刺して、ロビーで待つと言ってボスは病室を出て行った。

ねえメローネ、まずはあなたの、本当の名前を教えてくれる?