学校の同級生と付き合っていた。こんなに人を好きになれるなんて思わなかったから、彼の存在は私の中でとてもとても大きくて、きっとこの恋を一生抱えて生きて行くんだと思った。

そんな彼が学校に来なくなった。ギャングになったという噂を聞いて、いつか彼がらしくない声色で語った、過去自分を助けてくれたギャングの男のことを思い出す。彼はその話をただの思い出話として話したけれど、私はその話に憧れを見た。それがいいことか悪いことかは判断できないけれど、彼は夢をかなえたのかもしれなかった。学校に来なくなった彼の行方を私は知らないのは、その夢の隣に、私の姿はなかったということだ。



そう結論づけてから、私はひどく落ち込んだ。それはもう、私も学校に行かなくなってしまうほどに。ジョルノはとてもモテる人だったけれど、私と付き合ってからは他の女の子からの贈り物やお誘いはきっちりと断りを入れてくれる誠実な男だった。だから私たちの仲は校内では有名で、最初こそ1,2回呼び出しをくらったりもしたけれど、それもジョルノの活躍ですぐになくなった。
そんなだから、事情を知っているんでしょうという声を掛けられるたび、私の胸はするどい刃物で切り裂かれたようにズキリと痛んだのだ。何も知らない。ほんとうに、なにも。

思い出ばかりある校舎を歩くのはつらくて、街を歩くのもつらくなり、部屋にいるのも辛くなって、学校はやめて小さな部屋に引越し外に出ない生活を送るようになった。こんな気持ちになるのは両親を亡くしたとき以来だ。そうして落ち込んでいたのを引っ張り上げてくれたのがジョルノだったのに。今この状態の私は、誰が引っ張り上げてくれるのだろう。

甘えたこと言っていないで、自分の足で立ち上がって歩かなければ。そう思う気持ちはちゃんとあった。あったけれど、私にそんな勇気はなかったし、心のよりどころも失ってしまっているので、気が付けばすっかり冷え切った12月を迎えていた。

「はあ、さむ…」

少しでも現状をどうにかしなければ。そう世話を焼いてくれたのは引越し先のアパートの、気の良いおばちゃんだった。おばちゃんは私のことをとても気にかけてくれた。差し入れよ、とインスタントばかり食べている私の部屋に鍋をもってやってきて、トマト味の栄養のあるスープを食べさせてくれた。

私は両親が事故で死んでしまっていること。落ち込んでいたところを支えてくれた人と恋人になったこと。その恋人が突然失踪し、行方がしれないこと。何も知らされていなくて、何もかも忘れたくて学校もやめ引っ越してきたこと。そんな自分のことを話すうちに、すっかり仲良くなり、やがておばちゃんは優しく甘やかすだけでなく私を叱ってくれるようになった。

通い始めたカウンセリングは順調かと言われると、なんとも言い難い。良いと言えば良い、悪いと言えば悪い、つまり現状はかわっていない。日常生活をちゃんと送れるようになって、それきりだ。今日も「最近どうですか」「まあまあ、ぼちぼちです」と30分ほど会話をして病院を後にした。

帰りのバスはこない。冷え切って真っ赤になった指先はすっかり感覚を失っている。はあ、と吐き出した吐息は真っ白で、その一瞬の白い吐息の向こうに見えた電飾の施された町のシンボルとなる木はキラキラと反射して見えた。

10分も遅れてきたバスにのってアパートの近くについたのは、もうすっかりあたりが暗くなったころだった。めったに出かけないからいいやと思って選んだこのアパートは、暗くなってから歩くには少しさみしいところにある。カンカンと音を立てて階段を上がると、廊下に人影があった。ビクリと肩が跳ねる。廊下にたたずむ見知らぬ人の姿なんて絶対に不信だし、しかもその人がいる場所が自分の部屋の前なのだから余計に。

こっそり引き返しておばちゃんの部屋に、と思うのもむなしく、カンカンと高い音を立てて上がってきた私に気が付いていないはずがなかった。壁に少しだらしなく背中を預けていた影が、ゆっくりこちらを向いた。心臓が跳ねあがる。

それは恐怖ではなく、喜びとか緊張とか、そういう感情からの動揺だった。

「ジョルノ……」

名前は白くなって空気に溶けた。。柔らかい声色は記憶にあるそのままで、喜びで鳥肌が立った。

「突然すみません。やっと学校に行けたら、あなたがやめたって聞いて…」

やっと見つけた。少し情けない顔で笑うジョルノは、たぶん半年くらいしか離れていなかったのに大人っぽくなったように見えた。廊下を走ると隣の部屋の人がうるさいって怒るんだけど、そんなことどうでもよくなるくらいの勢いで走って抱きつく。コートも、抱き返してくれる腕も、額を押し付けた首筋も、それから頭を撫でてくれる指先もとても冷たい。

「冷たい、いつからいたの」
「2時間くらいかな」
「そんなに!?風邪ひいちゃう、入って」

慌ててカバンから鍵を取り出してカチリとまわす。暖房の付いていない部屋はまだ寒いので、コートは脱がなかった。ジョルノは少し部屋を見回してからリビングのソファに腰を下ろした。

「何か飲む?温かいのはコーヒーか紅茶しかないけど」
が淹れたコーヒーが飲みたい」
「わかった」

私の父はコーヒーが大好きで、家でもいつもこだわりのコーヒーを入れてくれた。小さいころからその技術を教え込まれた私も、おいしいコーヒーを入れる腕前は一人前のつもりだ。

「お湯わくまで、ちょっとまってね。暖房少し強くしようか」

リモコンを操作しようとジョルノの座るソファの横を通ろうとしたら、ぐいと腕を引かれてソファに倒れこんでしまった。

「わ、ちょっと、あぶない……ジョルノ?」
「何も聞かないんですか?」
「…答えらえるの?」

ゆるゆると首を横に振る。答えられないのに、聞かないのかっていうのはどういうことなのか。聞いてほしいのか、聞かないでほしいのか、ジョルノが何を考えているのか、私には全然わからないよ。
お互いに身体は冷えているはずなのに、くっつている部分だけは暖かいような気がして、しばらくそのままの体制でいた。心地よい静寂はきっとそれほど長い時間ではなかったけれど、それを打ち破ったのはジョルノだった。

……僕のこと、まだ好きですか」

耳元で囁かれる声が震えていた。それは寒いからだろうか。顔をあげようとするとぐいっと腕で頭を押さえられてしまったのでわからない。

「好きだよ、ジョルノ。学校もやめて、こうして引っ越して、それから、病院に通ってカウンセリングを受けるくらいには、ジョルノのことが好き」

抱きしめる力が強くなる。苦しいくらい強く押し付けられたたくましい胸元から、とても早くなった鼓動が聞こえる。

「巻き込みたくなくて何も言わずに去りました。けれど、どうしてもを諦められなかった」

肩をつかんで距離を置かれる。目元と鼻が赤いのは、たぶん、外がとっても寒かったから。目がうるんでいるのは、たぶん、温かくなってきた部屋の温度が沁みたから。

「僕の手を取れば、ここも離れなければならないし、もう二度と今までの生活には戻れない。きっと危険もある。けれど、絶対にのことを守ると誓います。僕と…来てくれますか」

これはプロポーズだろうか。頭の片隅でカンカンと音を立てる警告は、その危険の正体を察しているから発せられている。でも、その程度の本能が鳴らす警告を、聞くような私ではなかった。この数か月を死んだような気持ちで過ごしていた私が、ジョルノを手放してこの先を生きて行けるはずがないのだ。

差し出された手をとる。冷たくて大きな手が、長い指が、私の手を何か確かめるようにたどって、ぎゅっと握った。引き寄せられて、触れるだけのキスを受ける。離れた手には、一輪の薔薇があった。

「…すごい」
「驚くのは、少しだけ早い」

ジョルノはその薔薇に手をかざし、そしてゆっくりと手を離した。鮮やかな赤は消えていて、キラリと光るリングが1つ。

「…ジョルノ、これ」
「返事を聞かせてください。そうしたら、すべて話せるから」

じわりと浮かんだ涙でジョルノの顔がぼんやりとした。もう二度と会えないのかもしれないと思い始めていたのに、再会したその日に今度は永遠を誓ってくれるのか。なんて素敵な人だろう。ぼやけた視界にうつる金髪は眩しいくらい綺麗で、力強い視線は私を真っ直ぐに捉えて離さない。返事なんて、決まりきってるじゃないか。

「連れて行って、ジョルノ。あなたをあいしてる」