「ちょっと長くなるかもしれねぇ」って言って、それを聞いた私が不安そうな顔をしたのを見てすぐに「いや、結構早く終わるかもな」って言いなおした。ギアッチョは私を不安にさせないよう、いつもいつもできるだけやんわりと予定を告げる。その仕事が何か危ないことだっていうのは私は長い付き合いの中で察していて、けれどそのやんわりした部分をはっきりさせないことが私たちの関係を繋いだままにするにはとても大切なことだってわかってた。

安心させようとして笑った顔はどこかこわばっていたから、今日はきっと特別大変なお仕事なんだな…って思って、不安になった私はギアッチョをこの世につなぎとめる魔法をかける。ずっとここで待ってる。行ってらっしゃい。帰って来てね。こわばっていた表情はほろりとほどけて、重なって塞がった唇の代わりに私を見つめたまま細くなった目が、私のことを愛してるって囁いた。

パタン、閉じた扉の奥に消えた背中は記憶からすぐに消えて、見慣れたその背中が最後の一瞬になるだなんて、いつも不安に思っていたはずなのに私はなぜか考えもしなかったんだ。知っていたらきっともっとはっきりとその背中を見つめたし、それか無理やりにでも引き留めたのかもしれない。



ギアッチョが帰ってこなくなってから1週間、さすがの私もおかしいと思ったし、もしかしたらっていう予感はあったからどこか落ち着かない気持ちになりながらも、自分の目で何かを見るまでは何も信じないようにしようと平静を装って過ごしていた。

ギアッチョがいつ帰って来てもいいように、神経質な彼のために部屋はいつだってきれいに。掃除をしていた時、ぽとりと何かを知らせるように本棚から1通の手紙が落ちた。真っ白なその封筒は宛名も差出人の名前もなく封もされていなくって、心当たりがないからきっとギアッチョのだ。人の手紙を読む趣味はないから本棚へ戻そうとしたけれど、拾い上げた手紙の宛名が目に入ってしまった。

へ』

几帳面に整っているのに、せっかちに払われるシュッとした文字はギアッチョのものだ。手紙なんて初めて見た。まさか私にあてたラブレター、なんて…っていうのはちょっと甘かった。どうせ私への手紙ならいつか見るのだろうからと開いたその紙の出だしはこうだった。

『これをお前が読んでいるなら、その時俺はもう死んでいるだろう』

「…え?」

ぐしゃりと手紙の端を握りつぶしそうになった手はそれ以上握りこまないよう細心の注意をはらう必要があった。その言葉はあまりにも突然で、突拍子もなくて、受け入れ難いものだ。

。俺がいなくなって何日でこの手紙を見つけているのかはわからない。1日か、一週間か、一か月か。長い間俺のことを待っていたのなら本当に悪かった。まず伝えておきたいことその1、俺がいなくなったのなら、俺のことは忘れて俺の物はすべて処分して、他のまっとうな仕事をしている男とでも幸せになってほしい』

「なに、それ」

『お前が他の男と…なんて考えるとそいつを殺しちまいそうになるな。気づいていたのかもしれないが、俺はギャングだった。それも、暗殺を専門にする汚い仕事だ。そんな手でお前に触れていたことは悪かったと思っている。どうしてもを手放したくなくて言えなかった。悪かった』

「そうだったんだ。ギアッチョ、きっと人に言えないような仕事をしているっておもってたけど…ギャングだったんだね。人殺し、かあ」

『伝えておきたいこと、2つめ。俺がいなくなったからと言って、泣かないでほしい。こんなこと直接言ったことはなかったかもしれないが、俺が笑っている顔が好きだ。馬鹿みてぇな話だが、もし死後の世界なんてところから見下ろしたお前が泣いてたら、きっと俺は未練ばかりが残って地獄にも行けねぇ』

「……それなら、ずっとそこに引っかかってるように…泣いちゃうじゃない」

ギアッチョがこんなに長く文字を書いているのは見たことがなかった。書きなれない手紙はところどころ書いた文章を塗りつぶしたりぐしゃぐしゃにしたり、私が握りしめる前からすこし皺が寄っていたりしたから、きっといろんなことを考えながら書いてくれたんだろう。

ぽたりと涙が落ちて、そこの文字がぼんやりと滲んだから、慌てて涙を拭った。

『といっても、は泣き虫だからもう泣いちまってるかもしれねーな。拭ってやれなくて悪い。』

「…ふふ、ほんとそのとおり。ギアッチョは私のこと、よくわかってるねぇ」

手紙はそのあと、初めて出会った時の話とか、好きになってしまったって気づいたときは本当に困ったとか(なんせ、暗殺者なので)、私が作るあれが好きだったからもう一度食べたかったとか、別の人と付き合うならお前のことを俺と同じくらい大切にしてくれる奴じゃなきゃ許さないとか、そんなことが何枚にも渡って綴られていた。涙が文字を消さないよう、私はベッドに横たわり溢れ出す涙を拭いもしないで読み進めていく。

そして、最後の1枚。それは殴り書きのようなシュッとした文字ではなく、丁寧に整った文字が並んでいた。

『最後に。、本当に愛してた。お前も俺と同じ気持ちなら頼みを聞いてほしい。俺の部屋の本棚の隅に黒い箱がある。中にはお前の新しい名前で作った書類とパスポート、現金とカードが入っているから、できることなら早めにその家を捨てて、どこか国外で別人になって暮らしてほしい。俺が死んだのなら、きっとそれをやった奴が全員の素性を調べ始める。できる限り痕跡は消したが、お前のことが見つからないとも限らない。こんなことに巻き込んでしまって本当に悪い。』

ここまで読み進めて気づかなかった私はまぬけなことに自分が暗殺者の恋人であるという事実をはっきり認識していなかった。それがどれだけ危険か、知らないだけでギアッチョがどれだけ私を隠していてくれてたか。

駆け込んだギアッチョの部屋はきれいに片付いてスッキリしている。本棚には難しい本や私も知ってる小説などがサイズも揃えてきっちり並んでいる。その端に黒い箱はあった。

中にあったのはじゃない名前に私の写真、架空の親や経歴を持った新しい私の情報が詰まっていた。現金はしばらく余裕で暮らせるだけの量があるし、通帳は一生暮らしていけるかもしれない額だから驚いた。こんなものをずっと用意して、いつか死ぬかもしれないと思いながら手紙を書いて、そんなこと全く悟らせずに隣にいたんだね。

手紙の最後の一文だ。

『もし次の人生があるのなら今度はまっとうに生きるから、そのときは俺と結婚しよう。それまでしばらくお別れだ。幸せに生きてくれ。
 ギアッチョ』

ギアッチョはずるい。幸せになれだなんて押し付けて、私はあなたがいないと幸せでなんかいられないのに。あなたがいない人生を最後まで歩けって、あるかもわからない来世の約束で縛り付けるなんて、なんて非道い人。


それは呪いのような手紙と約束



両親の経営するレストランで働く私は今日もホールでせっせと料理を出している。パスタやピッツァを指定のテーブルに運んでいくゲームのような仕事。忙しい昼を終えて落ち着いた時間に、キィと音を立てて来客がひとり。

「いらっしゃいませ、お好きな席へどうぞ。今日のオススメは…………、っ、」
「…?おい、どうし…………

メニューを持って近づいたその人は水色の髪の毛をくるくるさせて、赤い眼鏡をかけて、目つきは悪いけど何故か優しい。私が黙ったのを疑問に思ったのか顔を上げて、それから鋭い目を丸くして、私の名前を呼ぶ。

「ギアッチョ…、やっと会えたね」

話したいことはたくさんある。そうだな、まずは、あなたがいなくなったあとの世界の話、聞いてくれる? 私は頑張って、最後まで生きたよ。