組織の命令でもない、任務の遂行に必須でもない、私利私欲のために人を殺すから、はブチャラティのチームに受け入れられなかった。彼は自分の正義をまっすぐ貫く男だから、自分のチームに入る以上そのすぐに人を殺す癖をやめるように言いつけるのは当然だったし、がそれを受け入れられないのもまた彼女の性格からして当然のことだった。

パッショーネのメンバーでありながらどこのチームにも属さず1人で細々と任務をこなす彼女のことをフーゴは気にかけていて、自分のことにほとんど興味がないらしく住む部屋すらなかったを自宅に住まわせていた。

!また部屋を汚して…!」
「掃除してあるでしょ」
「雑なんだよ!」

潔癖、と言うほどではないが几帳面な性格のフーゴの部屋は綺麗に片付いている。が使用するエリアを除いて、だが。
疲れて自宅へ帰ってきたフーゴが目にしたのは、まず部屋のドアノブにこべりついた赤色と雑に濡れた扉と地面だった。血の付いた手で開けた扉にバケツで水をぶっかけて「掃除した」つもりになっているのは長い付き合いでわかっていたから、小言を言いつつもその改善はとうに諦めている。まったくなんで僕が、とぶつぶつ言いながらもドアノブとそれから玄関、床、リビング、風呂につながる廊下に転々と落ちた血を掃除して、ふうとひと段落したところでが顔をあげ「お、ピカピカだ」なんていうので再び青筋が浮かんだけれど、もう怒り出す気力もなくはあとため息に変えて吐き出した。これが惚れた女じゃなきゃ、とっくの昔に追い出すか病院送りにしているところだ。

おつかれさま、とソファに横たわっていた体を起こして座りなおしたの隣に腰掛ける。疲れさせたのは君だけどな、と言っても、はまったく悪いなんて思っていない顔でにっこりと笑った。その目元は真っ赤に腫れていて、また外で泣いて癇癪を起こしてきたんだなと何も聞かなくたって今日1日何をしていたかわかってしまうというものだ。随分と久しぶりだな、と前回がいつだったかカレンダーを見て思い出しながら、彼女が聞いてほしがっているのをわかっているからできるだけ優しい声色で尋ねてやる。

、今日は何をしてたんですか」
「…あのねえ、」

僕と暮らしているには好きな人がいる。の想い人はと仲が良いけれど、けして彼女のことを恋愛感情で好きにはならない親友と呼ばれる立場の女だ。だからは、その親友に想い人や恋人ができるたびその男を殺してしまう。

今日は、ここ2か月ほど恋人のいなかったはずの親友が「好きな人ができたの」と報告してきたらしい。ほら彼よ、と一緒にその職場に行って顔をみて、なるほど確かに彼女の好きそうなタイプだと思った。彼は目ざとく覗き込んだたちを見つけて、目があった親友に笑顔で手を振ったのだという。ぱっと顔を赤くして小さく手を振りかえす親友はとても可愛らしくって、やっぱり彼女のことが大好きだと実感した。恋をしている表情はあんまりにも可愛らしくて、そしてどうしようもなく彼が憎くなったのだとはだんだんと低く小さくなる声で話した。

だから、親友と別れた後で彼の働く店に行き、「あのね、あの子が話があるんだって」と連れ出した。あとはもういつものとおり、バラバラになって海にでも投げ捨てられたのだろうというのは全く難しくない想像だ。

「…それは、大変でしたね。かわいそうに」

そう言ってやれば、はご機嫌に「そうなの」と弾んだ声を出す。自分のそういうクセがなかなか世間に受け入れられずブチャラティからも拒否された過去があるから、同調してやれば簡単に笑顔をつくる。けれどその目元の赤色はどれほど今日を悲しみの中で過ごしたのかをわかりやすく表しているから、きっと精一杯に作った笑顔は僕への気遣いなのだろう。
自分本位なが気を使ってくれる程度には好意を持たれているというただそれだけで、僕の心は少しだけうかれる。

「明日になったらきっとあの男がいなくなったのにあの子が気づくわ。そうしたらまたきっと、いつもみたいに私に泣きついてくるの。私はきっと嬉しくて仕方がなくなって、そしてほんの少しだけごめんねって思うの」

伏し目に浮かぶ愛しさと罪悪感が混ざり合った複雑な色にフーゴの色は混じらない。彼女はあくまで親友のことしか見ていないから。自分のことなど同居人か保護者かそのくらいにしか思っていないは、仮にも異性であるフーゴをそうと意識しもしない。

「ねえフーゴ、私ってひどいのかな?」

だからこうして、隣に座った僕の肩にこてんと頭を預けたりする。返り血を浴びてシャワーで流したのだろう柔らかくてまだ少し湿っている髪の毛は、同じシャンプーを使っているはずなのに僕とは違うのにおいを漂わせて頬をくすぐる。薄着でいるから、太ももからつま先まで真っ白に滑らかな素足や、細くて力なんかまったくなさそうな腕や、ざっくりと開いた胸元からのぞく膝につぶされて窮屈そうに形を変えた谷間なんかをまったく隠しもしない。それらのせいで僕がどれほど理性を総動員して自分の欲求を押し殺し、震える手でその頭を撫でてやっているのかを知らない。まったくひどい人だ。

「そんなことはないでしょう、…はやく、彼女がその思いに気づいて応えてくれるといいですね」
「…うん。ありがとうフーゴ」

猫ならゴロゴロと喉を鳴らしているのだろう仕草で首筋に頭を埋めてながら膝に乗ってくるので、大きく吐き出しそうになったため息をぐっと飲み込んだ。少しだけ強めに膝の上のを抱きしめてやったら、小さい声でもう一度ありがとうと漏らす。その声が震えていて肩口が冷たくなってくるけど、それが乾いてやがてすうすうと小さな寝息が聞こえてくるまで黙ってそのままの姿勢でいた。



*



は自分の世話を全部僕に丸投げしているようなところがあるけれど、よくよく考えてみればそれを要求されたことなど一度もなかったように思う。すべて僕が自分で自主的にやっていることだ。住む家はないんだという彼女を無理に引きずってこの家に放り込んだことも、なくすから預かれないという鍵にひもをつけてその首にかけたのも、放っておけば年中同じ服を着ているに着替えを選ぶ余地ができるだけの服を買い与えたのも、気が向かなければ数日平気で食事をしない彼女に朝昼晩ときっちりごはんを食べさせるのも、すべて。だからそれらの好意に「してやってる」だなんて一度も思ったことはなかった。いつだって「させてもらっている」と思っているそれは決して負担でもなければ拒否されたことがないので押し付けているとも思っていないから、その言葉は随分と理解し難かった。

「あなたがをダメにしてるって、わかってるんですからね」

震える声で、震える足でにらみつけてくる女は自分の親友が僕に騙されていると思っているのだ。とは幼い頃からの付き合いらしい。がただの自分の欲求の甲斐性のため幼少期から人を殺してきたことは知らない。自分の想い人が必ずなぜかいなくなってしまうのがなぜかも知らない。ただ幼馴染がギャングになったと聞いたときにはひどく狼狽えて落ち込んでそれからその選択を責めたり泣いたりしたのだそうだけど、そんな無意味なことしかできない馬鹿な女だ。

そんな馬鹿な女は、馬鹿な勘違いから僕を責めている。の知り合いである僕がギャングであることは知っているだろうに、きっとさぞ怖いのだろうに、精一杯ににらみつける視線だけはまあよく頑張りましたと言ってやれる程度のものだ。

しかしその的はずれな罵倒は褒めてやれない。馬鹿だな、と呆れてため息を付けば、彼女はわかりやすく顔を歪めた。きっと一般的に見ればずいぶんと整った顔なのだろうというのはフーゴにでもわかる、けれどのほうがずっと上だ。なんでがこの女に執着しているのか、フーゴにはさっぱりわからなかった。

は何でもできる完璧な人間なの、あなたが甘やかしてダメにしてるって、知ってるのよ。を解放して」
「…何を勘違いしているのか知らないけど、が僕の家にいるのはの意思です。拘束してるわけでもなければ鍵だって渡している。あなたにだって頻繁に会いに行くでしょう」

ギリ、と奥歯を鳴らして一歩後ずさった彼女はやっぱり僕が怖いのだろう。口を開いた瞬間の一瞬の怯えはここが戦場ならもう負けを認めたようなものだった。

まったく、こんなめんどうな呼び出しに応えるんじゃなかったな、と踵を返して帰ろうとすると、ほんのり聞き覚えのある金属の音とそれから駆け出す足音が聞こえた。…ああ、彼女は僕が思っていたよりも本気で僕を恨んでいたらしい。愛っていうのはわからない。の彼女への愛の重さも、彼女からへのあくまで親友としての深い愛も、それから馬鹿みたいにを甘やかしてしまう僕のそれも。

素人の女の力で押し付けられた折りたたみのナイフなんか対したダメージは与えられない。まあ満足はするかな、と半身をずらしてすこしだけ腹を掠った傷、破けた服、それから飛び散った血液に彼女は目を丸くして、それから叫んで取り乱してナイフを投げ捨てた。一般人の女なんてこんなもんだ。思い切って衝動のままに行動した先の結果も想像できない、やっぱりただの馬鹿な女。全くついてない、今日は嫌な日だ。

目撃者もそれなりにいて、彼女は走って逃げ出したけれど誰かに取り押さえられたらしかった。しかしこんな傷で彼女の人生を狂わせたりしたらの方が狂ってしまうだろう、と、僕はそれを見逃そうとしたのだ。優しさとかではなくって、単純にどうでもいいとしか思えなかったので。だからそこに駆け寄って、「かすり傷なので、大丈夫ですから」と言おうとした。

「フーゴ!!」
…?」

駆けつけてきたのに視界に入って声が聞こえるまで気づかなかった、気配と足音を消すのはさすがにうまい。なんてことに関心している場合ではなくて、今ここにがいるということはさっきのを見ていたのか、と血の気が引いた。は彼女のことを本当に盲目的に愛しているから、きっと彼女が僕のところにいるのをやめろと直接いえばきっと本当にそのとおり出ていってしまうと思った。

、聞いてたんですか」
「しゃべんないでフーゴ、今治すから…」

思ったより出血しているからほんのり貧血のような感覚があったけれど、は小さくて温かい、白い手を血に染めて僕の腹の傷を撫でた。衝動のままにすぐ気に入らない存在を葬ってしまうにはあまりにも似合わない、しかし僕はこんなにぴったりのスタンドはないと思っている、真っ白な天使の姿を纏う。身長よりも大きな白い翼はの背中からふわりと広がって、その姿のは人間のどんな傷だって癒やすことができた。

腹の傷を見つめるの表情は苦痛に歪んでいて、そんなにきれいな姿でそんな顔をするものではないと、その表情を和らげようと頬に手を当てる。

「…大丈夫です。僕はこんなの、全然」
「よかった…ごめん、刺される前に、守れなくって」
…?ねえ、なんで、」

ほとんどゼロ距離に近づいた2人に近づいた女はただ困惑だけを浮かべての名前を読んだ。彼女だって、種類は違えど心の底からを愛して信頼しているから、きっとこの状況は見たまんま理解しようとしたって難しいのだろう。自分と男がいて、がまず男の方に駆け寄ったことはきっと彼女の人生で起こる可能性なんてこれっぽっちも想定したことがない事態だったに違いない。

「…ねえ、、私…私、違うの、ねえ、そんな男のことより、私」
「ごめん…ごめんね、今日は帰ってくれないかな…」

天使の姿をしたをこの女は見られないのだと思ったら、急に哀れになった。優越感でもなんでもなくただかわいそうに、と思ったのはきっとそれだけが美しいからで。そんな美しいが、いつだって何よりも愛して優先していた彼女のことを突き放したことに驚愕したのは僕だけじゃあなかった。言われた本人はが「宝石みたい」と称する大きな瞳に大粒の涙を浮かべて、違うの、とただ繰り返す。けれどそれきりは僕に向き直って傷を押さえたまま、うつむいてその表情を誰にも見せなかった。



*



自分で動かないを連れ帰るのは難しくなくって、その小さくて軽い体は簡単に持ち上がった。泣きながらすがりつく彼女も僕がを抱き上げてしまえばそれ以上ついてこなかったので、ときどき後ろを振り返りながらも自宅へ帰った僕はいつものソファにを下ろす。もうとっくに傷なんかふさがっているのにスタンドのちからを一切緩めていないことはほんのり温かい脇腹の感触で伝わっていて、もう大丈夫だと何度か告げたけれどそれはひっこめられることはなかった。

「…、もう大丈夫ですから。疲れるからもうやめるんだ」
「フーゴ、ごめん」

ゆるりと、ほどけるように消えた翼と一緒に暖かさも消えた。しかし今度は自身の体温で腹が暖かくなって、ぎゅうとすがりつくように抱きついてくるに今度こそ困惑してしまった。いったいが何を考えているのかわからない。そう思った僕の心を読んだみたいに、は「私、自分が何を考えているのかわからないの」とつぶやいた。

「私はあの子のことを世界で一番愛していて、あの子に近づくものは全部排除したくて生きてきたのに、あの子がフーゴを傷つけるって思ったら、…あの子のことを許せないと思った」
、それは…」
「ねえフーゴ、これってなんで?どうしてなのかな。フーゴならわかる?」

少し距離をあけて見上げてきた大粒の涙を浮かべた宝石みたいな瞳は、さっき見た別の瞳なんかとは比べ物にならないほどに美しかった。そのきらきらの美しさに負けないくらいのインパクトで鼓膜を揺らした愛の告白みたいな言葉に、僕は思い上がりじゃなければきっと今自分は世界で一番幸せな人間なのだと思わずにはいられなかった。


a poco a poco ti amo


、その気持はきっと、)