「・・・これで最後かな」



あと少しで今日の業務も終了する。この書類を上官のところへ持っていけば完了だ。関東の在来線をまとめるのはいつからか自分の仕事になっていて、それに何の疑問も持たなかった。他の人に任せてもいいのだが、結局自分でやってしまう。そういう性なのだろう。一番終電の遅い路線の日報をもらうまで帰れないのは確かに大変じゃないとは言えないが、自分がこれを提出した後、上官たちは更にそれを確認していく。それに比べれば随分と楽なものだ。

時計を見るといつもより10分ほど早い時間で、今日はお酒でも飲もうかな、と席を立つ。会議室の電気をパチリと消して廊下に出ると、そこには小さな塊が座っていた。



「え、あれ、?」

「…んぅ」



扉の横に座って眠っていたのはだ。このあたりだと一番新しい路線、つまりは一番年下。在来の中で唯一女の子ということもあって相当可愛がられているにも関わらず仕事は真面目にこなすし、目立って事故が多いこともない。優秀な路線だ。…ただ、一点を除いては。



「こんなところで何してるの、風邪ひくよ」

「おはようございます…書類を待っていました」

「書類?」



そんなの待ってどうするの、と聞こうとすると、小さな身長を目いっぱい伸ばして僕の持つファイルを取る。中身をちらっと見てそれが日報であることを確認すると、「私が提出します!」と誇らしげな表情を見せた。



「…何で」

「京浜東北さんはお休みください!」

「いやそうじゃなくて」

「私には任せられませんか…?」



そういうことじゃないんだけど、と下を向いてしまったの頭を撫でる。突然どうしたの、と聞けば、それはもう満面の笑みを浮かべて。



「上越上官に会いたいのです!」

「・・・ああ、やっぱり」



そう、この優秀な路線は、あろうことかあの上官をいたく気に入っている。高速鉄道の中でも特に良くない噂の多いあの上越上官を。普段はにこやかなのだが、機嫌の悪い時に八つ当たりされたという話は後を絶たない。宇都宮が上官になったようなものだろうか。支離滅裂なことをされても、上官だから逆らえないところが更に痛い。しかしは、そんな上越上官が何よりも大好きらしい。


「わかった、じゃあお願いするね。上官に何かされたら言うんだよ」

「大丈夫です、上越上官はお優しいですから!」



の中で上官といえば上越しか浮かんでこないのだろうか。多分そうだ。まさか小さな女の子にまで手を出すとは思わないが、心配なものは心配だ。「では失礼します、お疲れさまでした!」と踵を返すの後をこっそり付けようとする。しかし角を曲がったところで姿を消したかと思えばすぐそこに隠れたがいて。



「心配ないですってば、ほら、」



ぐい、と押し返されてしまえばもう帰るしかない。は鼻歌なんて歌いながら立ち去って行った。










「失礼しますっ」

「入れ」



がちゃり、と扉を開けると、業務を終えた高速鉄道の面々。いつ見てもかっこいいなあ、と目当ての人を探すも、何故か当人だけがそこにいない。あれ、おかしいな、と思っていると、秋田がにこやかに歩み寄ってきた。



ちゃん、ご苦労さま。日報だよね?」

「あ、はいっ。お願いします!」

「うん。ありがとうね」



優しく頭を撫でてくれる秋田のことは好きだ。日報を手渡しもう一度部屋を見回す。ふと目が合った長野が「食べますか?」とお菓子を差し出した。



「え、あの」

「気にすんなー、食ってけ食ってけ」



大きくなれねーぞ、いろいろと!なんて言った山陽の頭を勢いよく殴ったのは秋田で、山陽は「冗談なのに」とその場にうずくまる。



「気にすることはないぞ、どうせ山陽の分だ」

「えええっ東海道!酷い!!」

「私は、いいですから」

「あれ、?」



それよりも、と言葉をつづけようとすると、求めていた声が頭上から降って来る。上越上官、と声を上げようとするとひょいと抱きあげられて、心臓が飛び跳ねる。どきどきしながら顔をあげると、ほとんど変わらない高さにその綺麗な顔があって。



「じょ、えつ上官…、あの、」

「日報届けに来てくれたの?」

「はいっ」

「そっか、偉いね」



秋田のそれより些か乱暴に頭を撫でられ、口元が緩みそうになる。それを見た長野が隣にいる東海道を見つめ、東海道が驚いたように瞬く。状況を唯一冷静に見ていた秋田が「そろそろ遅いから、送って行ってあげたら?」と上越に言うと、いつもより随分と上機嫌な上越が返事をする。



「そうだね。女の子に夜道は危ないし」

「大丈夫です、一人で帰れますよ」

「僕と帰るのが嫌ならそれでもいいよ」

「・・・っ、」



そんな風に言われたら断れません。すっかり真っ赤になってしまったを微笑ましそうに見る秋田にひらりと手を振ると、上越は「今日はそのまま上がるから」と言い残して部屋を出て行った。



「上越上官っ、自分で歩きます!」

「だーめ。僕にだっこされるの嫌?」

「そ、そうじゃなくて・・・」



じゃあ何?と綺麗な顔で覗きこまれるとどうも弱い。顔が赤いのが自分でもわかるほど緊張して、つまりそうになりながらも何とか言葉を発する。



「その、・・・手、繋ぎたいのです・・・」

「・・・」



精一杯の発言に返ってきたのは沈黙で、失言だったか、とその顔を覗き込む。するとそれを避けるようにすとんと体を下ろされて。代わりに少し乱暴に握られた右手におどろいて上越を見上げると、長めの黒髪からのぞく耳が少しだけ赤い。



「あーもう、やめてよねそういうの。ほら、帰るよ」

「YES、上官!」



しあわせすぎてどうしよう!と思っているのは、きっとお互い様だ。





(深夜の帰り道)