珍しく休暇をとった理由は、特になかった。ただ何となく、本当になんとなく1人になりたくて。強いて言えば、ずっとずっと何年も前の今日、自分は生まれたんだなあと感傷に浸ってみたかっただけで。けれどいざ部屋でぼんやりとしていても、せいぜい昼には退屈が極まってきてしまった。

誰かいないだろうかと私服のまま訪れた休憩室で、サボりなのか運休なのか、優雅に紅茶なんて飲んでいたのは京葉だった。



「…何してるの」

「え、京浜東北?やだなー、別にさぼってるんじゃないよ」



自主休憩なの、と机にマグカップを戻す。その動きを目で追えば、飲みたいなら自分でいれなよ、と言われる。そうじゃないよ、と隣に腰かけると、その頭が右肩に乗った。



「仕事くらいちゃんとしなよね」

「だって君がいないのに」

「…そういうこと言わないで」



何よ、と少し拗ねた声をだした京葉のことは、素直に可愛いと思う。しかしその感情を認めてしまえば、京葉も他の路線たちも平等に扱うだなんて器用なこと、出来る自信は正直ない。気づかないふりをしていることに、京葉は気づいているのだろう。だからこそ、核心を突くようなことは言わないのだと思う。



「ねーえ、京浜」

「・・・その呼び方やめてくれる」

「どうしてさ?」



昔はそうだったんでしょ、と顔を覗き込んでくる京葉が、本当にどうして、なんて表情をしていたから。ついむっとしてしまって、人の気も知らずに、といらだってしまう。だってその名前は、確かに自分を表わすものではあったけれど。

僕がその名で呼ばれた時代に、君は存在していないのだから。



「どうしても。嫌なの」

「何よそれー」



必要ないんだよ、そんなもの。言い捨てるように立ち上がった僕に少し驚いたのか、京葉はぱちりと瞬きをした。その小さな仕草1つが愛おしいと思えて、やっぱりそんな気持ちを認めるわけにはいかなくなる。



「それでも、君は京浜として作られたんでしょう」



だからいいじゃない、と食い下がる京葉に、仕事へ戻るよう釘をさす。はあいと気のない返事をした京葉が扉を開けようとして、すれ違いざまに小さく呟いた。



「おめでとう、京浜」



ぎゅうと胸が痛くなったのは、目も合わせずに部屋を出て行ってしまったからなのか名前を呼ばれたからなのか、その言葉が嬉しかったからなのかはわからない。ただ言い表しようのない感情がぐるぐると渦になって気持ち悪い。
だからお願い、その名前で呼ばないで。





(君が居ない記憶)